「なぜ?」
って、聞くこと自体、
この質問者自身が、『世界のイナカッペ、日本人」
『世界の中心は、日本」----『典型的な井の中の蛙』
の日本人なわけです。
”赤くて、辛くて、酸っぱくて、とっても臭い漬物の国”は、
最初から、国が貧しいし、
国民は、自分たちの製造したものが買えないくらい貧しいので、
しかも、利益を十分とるには、少なすぎるので
最初から、世界に、
しかも、日本などの先進国が、
あまり、市場を席捲していない地域に、「安かろう戦略」で、
進出したのが、始まりで、
今の、サム**、や、L*があるわけです。
よっぽど、彼らの方が、この記事の質問者より、
「国際感覚と、ビジネス感覚があります」
例えば、すそ野も広く、大産業(企業)
になれる可能性のある業界は、
最初から、世界を目指すのが当然中の当然なわけです。
そのヴィジョン、夢、コンセプト、ゴール、
などがない会社自体が、
70%、ほぼ?
経営者として
創業者として、小さい理念(夢)なわけで、
この記事のように、「なぜ?」が、
70~90%、夢を持った、野望を持った創業者として、小さすぎるわけです。
おかしいわけです。
自動車会社(業界)や、
家電メーカー(業界)で、
例えば、SONYのように、
世界中の言語で、誰が読んでも、
「ソニー」と
発音ができるような社名とスペールにして
創業当時から、世界進出を目指していたから、
今の、「世界のSONY 」になれたのです。
自動車会社では、
大変失礼で、ごめんなさい、ですが、
一例ですが、
「ダイハツ」
創業当時も、30年前も、今も、
強いそういう意思、夢、希望がないから、
いまだに、日本の自動車会社では、
スバルの様になれないのです。
30年前に、一時、アメリカ進出を、成し遂げましたが、
あまりにも、小さすぎて、小型すぎて、ちゃちすぎて、
おまわりさんが見ていなかったら、100~120km
を、普通に出す、アメリカのフリーウェイで、
消費者が、
安全性や、
ラグジュアリ感覚、
快適さにおいて、
あまりにも、要求(欲求)を、満たしてくれなかったので、
最初から、尻切れトンボで、すぐに撤退しました。
えらいのは、そういうダイハツの失敗や、
自分たちの、軽自動車のジムニーの、
「ロールオフ」という安全性の問題で、
アメリカの消費者志向、制限、好み、市場、などについて、
大・勉強したので
その失敗を糧に、
インド進出を果たし、
今のような、インドでは、押しも押されぬ、スズキの地位を確立したのです。
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よって、私が、この記者なら、
スバルに対して、なぜ?でなく、
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例えば、ダイハツに、
今後、スズキや、
スバルのように、
他社のように、
ターゲットの国々への、戦略車を製造して、
海外市場に、打って出るという、野望はないのですか?
の方が、よっぽど、理にかなっておりますし、
ビジネスとして夢があります。
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【スバルよ、なぜアメリカを向いた?】大英断ともいえるワケ 販売台数、アメリカ>日本に逆転した背景
配信
スバルの売上高 10年間で2.3倍
text:Kenji Momota(桃田健史) いまや、SUBARU(スバル)は大企業である。 【写真】日本メーカーなのに…… 海外でしか売られていないクルマ7選【ディテール】 (85枚) そうした認識を持っている日本人は、あまり多くないのではないだろうか。 スバルの2020年3月期、売上高は3兆3441億円。 日系メーカーの売上高ランキングで見ると、トヨタ、ホンダ、日産、スズキに次ぐ第5位であり、6位のマツダを僅差で抑え、7位の三菱とは1兆円以上の差がある。 スバルの売り上げが大きく伸びたのは2010年代に入ってからと、歴史が浅い。 いまから10年前の2010年3月期の売上高は1兆4287億円。なんと、過去10年間で2.3倍に伸びているのだ。 なぜ、ここまで一気に成長したのか?
「尖った会社」のイメージかもしれない
スバルのイメージと言えば、WRC(世界ラリー選手権)であり、STI(スバル・テクニカ・インターナショナル)という方が多いかもしれない。 また、いわゆる生活四駆として強靭かつ走行安定性の良い、水平対向エンジンによるシンメトリカル4WDが広く利用されている。 近年では、高度な運転支援システムのハシリともいえる、アイサイトがある。 こうした技術屋集団っぽいところから「尖った会社」として、こじんまりしているようなイメージを持つ人が多いはずだ。 それが、まさかマツダ越えするほどの大企業になっていたとは!? なぜ、スバルはここまで大きくなったのか? 背景にあるのは、アメリカ市場での大成功だ。
急成長の基盤 グローバル視点へ
スバル・フォレスター(上)とインプレッサ(下)。いずれも現行モデル。
スバル急成長の基盤となったのは、2007年2月28日に公開された、2007~2010中期経営計画だ。 副題は「すべてのお客様のために」。当時、富士重工業だったスバルは、大きくアメリカへ舵を切ることを決断した。 背景にあるのは、日本市場での個人消費の伸び悩み、少子高齢化、さらに顕著になり始めてきた軽自動車シフトだ。 それまでのスバル商品群では日本市場でのさらなる成長が難しい状況だった。 一方、海外に目を向けると、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)と呼ばれる経済新興国の成長が著しい。 またアメリカで90年代後半から定着したSUV市場がさらなる拡大傾向を見せていた。 そこで、アメリカを最重点市場に位置付け、アメリカで売れることを大前提としたグローバルモデル開発に注力した。 そうした中、まずは「インプレッサ」と「フォレスター」をイメージチェンジ。 当時、スバル上層部は「インプレッサを、カローラのようなボリューム(販売量)を稼げるモデルにする」と目標を掲げていた。 「フォレスター」については、アメリカでのコンパクトSUVとしての必要条件を十分に加味したクルマとなった。 さらに、「レガシィ」については、「アウトバック」を優先するイメージでサイズアップを図ったことで、自動車メディアから日本軽視という厳しい声も挙がった。
米ディーラー網の大幅見直し
アメリカで売れる商品揃えを進めると同時に、販売店についても大きな変更を施した。 2010年までに、全米625店舗構想を掲げた。その中では、市街中心部にあるパパママショップと呼ばれる小規模ディーラーを見直し、郊外型の中大規模ディーラーを強化した。 また、当時のアメリカでは、スバルに限らずマルチブランドを同じ店舗内で扱う併売スタイルが多かった。 スバルの場合、韓国ヒュンダイなどとの併売が多く、ディーラーマンとしては販売奨励金が多いスバル以外のブランドを優先して売るようなこともあった。 そうした販売体制を改め、スバル専売店を増やした。 テキサス州の筆者の自宅近くの店舗が、全米に向けたスバル専売店のモデル店になったこともあり、当時のスバル営業戦略の動向を定常的に見ることができた。 こうして、アメリカで売れるクルマと売れる場所の整備が徐々に進んだ。 ただ、2007~2010年といえば、2008年のリーマンショックでGM、クライスラー(当時)が経営破綻し、アメリカ経済の回復がスローペースだった時期だ。 ところが、GMがアメリカでオールズモビル、ビュイック、サターン、ハマーブランドを廃止した。 これらの中での優良ディーラーがスバル専売を始めたことも、その後のスバル成長の布石となった。
重要な手がかり「LOVEキャンペーン」
商品と場所を整えながら、マーケティング戦略も新たに作成した。 アメリカの現地法人、SOA(スバル・オブ・アメリカ)は、新規に契約した広告代理店と共に、全米でのスバルユーザーの実態調査を行った。 そこからわかったのが、スバルユーザーは教育水準が高く、車両の所有年数が長く、スバルというブランドに対する忠誠心が高い、ということだった。 その上で、スバルはユーザーに対するキャンペーンに「LOVE」という言葉を使った。 LOVEキャンペーンは、スバルが当初考えていたより何倍もの効果を生む。 ちょうどスマートフォンの普及が本格化したこともあり、SNS効果によってスバルの評判が全米に着実に届いた。 さらに驚いたことに、LOVEキャンペーンはユーザー側からの提案で福祉など社会活動へも広がりを見せ、結果的にスバルのブランド価値が上がったのだ。 こうした自動車史上で極めて特殊なユーザー主導型のブランド普及活動によって、スバル車の売り上げが一気に上昇。結果的にアメリカ偏重の経営構造となった。 2006年度、グローバル販売台数は58万4000台。このうち、日本が24万4000台、アメリカが17万8000台だった。 それから13年後の2019年度、グローバルで103万3900台(06年比1.8倍)、日本が12万5800台(0.5倍)、アメリカが70万1600台(3.9倍)となっている。
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