私たちの祖先が「命がけ」で海を越え、日本列島を目指した理由は?

3/2(月) 18:01配信

現代ビジネス

 

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ヨーロッパのクロマニョン人は、自然の洞窟を壮大な壁画空間に変え、みごとな彫像を量産していたのに、同時代のアジアにそうした芸術的表現が乏しいのはなぜか? 
──謎に悩まされた人類進化学者が行きついた答えは、意外なものでした。人間としての「創造性豊かな活動痕跡」は、アジアにもあったのです。ただし別のかたちで。

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その頃アジア大陸の東端では、海の向こうの島へ移住するという、人類史上最初のチャレンジが繰り広げられていました。中でも日本列島への移住は、危険度の点で注目すべきです。

そんな祖先たちの大航海を再現する「科学+冒険」プロジェクトを成功させ、その成果を新刊『サピエンス日本上陸 3万年前の大航海』にまとめた国立科学博物館の海部陽介さんに、プロジェクトを立ち上げた理由を語ってもらいました。
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クロマニョン人に「嫉妬」して

 マンモスが生きていた数万年前に、毛皮をまとって石の槍で動物を追い回し、洞窟に絵を描いていた原始人──。

 私がクロマニョン人について、高校までに歴史の教科書などから得ていた知識はこんなものだった。しかし、大学で人類学を学び始めてから、それが大きな誤解であることを知る。

 クロマニョン人は4万5000~1万4500年前頃、氷期のヨーロッパに暮らしていた後期旧石器時代のホモ・サピエンスなのだが、彼らはただ毛皮を肩や腰に巻いていたのではなく、丁寧に裁縫され、ときにビーズなどをあしらった衣服を身につけていた。

 動物を狩るには、精巧な組み合わせ道具や、槍投げの威力を倍増させる補助具など、目を見張るような発明品を使っていた。そして、彼らの描いた壁画というのが、現代の美術家もうなる見事さなのだ。

 

「美術文化」を持ったクロマニョン人

 クロマニョン人の芸術世界がどのようなものであるか、それを知るにはフランス南西部のヴェゼール渓谷へ行くことをお薦めしたい。

 そこは美しい田園風景の中に中世の城が点在し、トリュフやフォアグラの産地としても名高い観光地だが、ぜひ見て欲しいのは、ユネスコの世界遺産に指定されている「147の先史遺跡と25の装飾された洞窟群」だ。

 これらの遺跡は、この土地にかつて二つの異なる人類が暮らしていたことを教えてくれる。一方はネアンデルタール人と呼ばれる、土地の先住者。他方はクロマニョン人で、ネアンデルタール人が姿を消した後、どこからかここへやってきた。

 両者について簡単に説明すると、ネアンデルタール人は、「およそ30万~4万年前のヨーロッパなどにいた旧人」、クロマニョン人は「およそ4万5000~1万4500年前の後期旧石器時代に、ヨーロッパに暮らしていたホモ・サピエンス(新人)」となる。クロマニョン人は私たち現代人と同種の人類で、ネアンデルタール人はその一段階前の、やや原始的な人類だった。

 どちらも野生の動物や植物を狩猟採集し、洞窟などを利用して暮らしていたが、両者の技術と文化には大きな違いがあった。渓谷の「装飾された洞窟」、つまり動物の色彩画や線刻や浮き彫りが施された25の洞窟は、どれもネアンデルタール人ではなく、クロマニョン人の所産だ。

 興味深いのは絵の質やモチーフだけでなく、彼らがそれを地下の洞窟の中に配置したという事実だろう。当たり前だが洞窟内は暗闇の世界であり、そこはハイエナがねぐらにし、クマが冬眠の場とすることはあっても、本来、霊長類が入る場所ではない。クロマニョン人はそこに、窪みのある石に動物の脂などを入れて火を灯した「ランプ」を持って、入り込んだ。

 つまりクロマニョン人は並々ならぬ労力を割いて、地底にある暗い自然の空洞を、躍動的な別世界に変えてしまったのだ。

 ヨーロッパ各地を回れば、ほぼどこでもクロマニョン人の高度な芸術的文化を目の当たりにする。彼らの手で装飾された洞窟はフランスとスペインを中心に300以上も知られている。

 彫刻や装飾品、縫い針なども数え切れないほど見つかっており、ドイツからは世界最古の彫刻と楽器(4万年前)が、チェコからは世界最古の焼土製の人形(2万8000年前)が発見されている。

 クロマニョン人の文化の中には、すでに美術や音楽と呼ぶべきものが存在していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

アジアから「芸術」が出土しない

 こうして知れば知るほど、まだ人類学の研究者になって間もない当時の私は、クロマニョン人と自分たち現代人の違いが、わからなくなっていった。それと同時に、大きな疑問が湧いてきた。

 「同じ時期のアジアにもホモ・サピエンスがいたのに、なぜそちらには、爆発的な芸術的活動の痕跡がないのだろう……」

 最近まで、アジアからは古い壁画は知られていなかった。ヨーロッパからの文化的影響があるとも言われていたシベリアを除けば、彫像の出土例はほぼ皆無である。

 装飾品としてのビーズはないわけではないが、出土例は片手に収まる程度で、それが数え切れないほどあるヨーロッパと雲泥の差があった。どうもアジアには、芸術の心の痕跡のようなものが見つからない。それはどういうことなのだろう。

 日本の学校で扱う世界史の教科書には、クロマニョン人のことは書かれていても、同時期の日本列島やアジア大陸にいた人類の文化については、ほとんど何も書かれていない。さして印象的な発見がないということなのだろうか。

 つまり私たちアジア人は、「我々の祖先はヨーロッパのクロマニョン人より劣っていた」と認めなくてはならないのだろうか。

 

人類はみな「遠い兄弟姉妹」どうし

 この謎を解くには、「ホモ・サピエンスのアフリカ起源説」を理解しておく必要がある。これは地球上のすべての現代人の起源と成りたちを説明する重要な理論で、簡単に言えば「ホモ・サピエンスは、アフリカで30万~10万年前に出現し、その後、世界へ大拡散した」というものだ。

 こういうと単純な話に聞こえるかもしれないが、内実はそうではない。

 ホモ・サピエンスの世界拡散に伴い、2つの大異変が起こった。一つは、「人類の多様性が失われた」ということである。すなわち、それまでユーラシア各地には、ジャワ原人、フローレス原人、ルソン原人、ネアンデルタール人など多様な原人や旧人の集団がいて、なかなか賑やかだったのだが、ホモ・サピエンス(=新人)の出現とともに、地球上の人類は我々のみとなった。

 過去の人類史においては、異なる地域に異なる種の人類がいる状態のほうがふつうだったのが、そうではない世界が生まれたわけだ。

 もう一つの異変は、「人類の分布域が劇的に広がった」ということである。原人や旧人たちは、アフリカとユーラシア大陸の中~低緯度地域に分布していたが、ホモ・サピエンスはそれを大幅に越えて寒冷地や海洋島にも進出し、やがて全世界に暮らすようになった。

 つまりアフリカで進化した我々ホモ・サピエンスは、多様性と分布範囲において、それまでの人類の歴史を大きく変えてしまったのだ。

 さて、ここからが大事なポイントになる。ホモ・サピエンスのアフリカ起源説に従え
ば、ヨーロッパのクロマニョン人はアフリカからやってきた移民だ。つまりヴェゼール渓谷でネアンデルタール人と入れ替わって、洞窟に壁画を描いたのは、アフリカからやってきた移住者たちだったのだ。

 そして同じ頃に、アジアやオーストラリア大陸へと移住していった、別のホモ・サピエンスの集団がいた。その子孫たちはさらに移住を続け、やがてアメリカ大陸や太平洋の島々にまで、広がっていった。

 つまり現代の世界各地に暮らす人類集団は、おそらく十数万年前以降にアフリカで分化しはじめ、5万年前頃から急速に世界各地へ散らばっていった遠い兄弟姉妹どうしなのだ。

 そしてこのことは、「世界中の現代人が共有している能力は、アフリカにいた旧石器時代の共通祖先に由来する」という、重要な仮説を導く。

 アフリカから大拡散した祖先たちは、全世界の現代人が共有する「人間らしさ」の諸要素を、すでに備えていたと予測されるのだ。もしそうでないなら、同じ能力が各地で短期に独立並行的に進化したことになるわけだが、生物進化の原理に照らすと、そういうことはまず起こらない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開花の「タイミング」が違っただけ

 ここで話を芸術に戻そう。芸術は現代の人類社会に普遍的なものだから、それを生み出す基盤的能力は、アフリカにいた共通祖先が備えていたはずだ。

 この予測を後押しするように、21世紀に入ってから、アフリカで世界最古の赤色顔料の使用、紋様、装飾品(ビーズ)などの証拠が相次いで報告されるようになった。

 だんだん、からくりがわかってきた。アフリカから世界へ広がったホモ・サピエンスの集団は、それぞれ芸術を生む能力を備えていたが、それは各地へ散った集団が同じ時期に同じ芸術行為をすることを意味しない。

 むしろこの能力の発現は地域や歴史の条件に左右されるもので、だからこそ世界各地に多様な芸術のスタイルが生まれた。

 アジアでは後期旧石器時代の芸術的活動は低調に見えるが、皆無ではない。そして時代が下れば、中国の青銅器や日本の縄文土器のように、各地に独特で印象的な芸術的造形が現れる。

 だからクロマニョン人と同時期のアジアに、ヨーロッパのような壮大な壁画や彫刻の証拠がないことを悲観することはない。

 そもそも芸術だけが人間らしさではないのだから、もっと視野を広げて「人間らしさとは何か」という大きな問いに迫る研究はできないものかと、私は考えはじめた。

 そのためにアジアは格好のフィールドに思える。広大で自然環境も多様なアジアに現れたホモ・サピエンスが、この地で原人や旧人と異なるどんな新奇的行動を見せたのか。

 それを示せれば、私たちホモ・サピエンスがどのような人類なのかが浮き彫りになるだろう。

 

人類は大海原に出る

 その中で、探るべきことはこれだと確信したのが、「人類の海への挑戦」である。人類が本格的に海に出はじめた古い証拠が、アジア大陸の東端に集中していることに気づいたのである。

 それは芸術ではないが、芸術と同じように創造力を要し、さらに挑戦心がなくては達成できない、いかにも人間らしい行動といえるのではないだろうか。しかも、日本列島という自分の足元に、これまで見過ごされていた〝勇気ある挑戦〞の痕跡があることもわかってきた。

 じつは日本列島は、人類最古段階での海洋進出の舞台の一つだった。しかも、そこにある海のいくつかはかなりの難関で、目標の島が見えないほど遠く、強大な海流が行く手を阻んでいた。

 後期旧石器時代のホモ・サピエンスは、それを3万年以上も前に越え、日本上陸を果たしたのである。

 いったいそれは、どのようにしてなされたのか。それは、どれほど難しい挑戦だったのか。そもそも祖先たちは、なぜ遠い島を目指したのか──。

 考えるだけでは、実態はわからない。そこで私は、彼らが使ったと考えられる古代舟を推定し、自分たちで一から作るところから始めて、太古の航海をすべて再現する実験をしようと決意した。

 

 

 

 

 

 

 

3万年前の航海を「徹底的に」なぞる

 私はこの「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」に、二つの期待を抱いている。

 一つは、3万年前の航海を実体験することによって、「祖先たちの本当の姿」が見えてくるのではないかという期待だ。

 果たして彼らは、教科書で無視されてもしかたないような存在だったのか。それとも、新しい世界に立ち向かえるだけの創造力や挑戦心をそなえていたのか。おそらく再現航海は、この問いに対して何かを教えてくれるだろう。

 もう一つは、この実験から「人間本来の力」が見えてくるのではないかという期待だ。

 テクノロジーに囲まれて暮らす現代の私たちは、ほとんどの問題を技術で解決することができる。

 しかし、祖先たちの技術は現代と比べればきわめて限られていた。それでも彼らは、海を越えた。つまりそれは、人間は技術に頼らずとも意外に大きなことを成せる、ということなのではないか。

 過去を知ることで、私たちは自分自身を再発見できるかもしれない。

 この太古の航海は決して、選ばれし屈強な男たちが主役の冒険物語ではない。海を越えた祖先たちはそこで定住し、子孫をふやしたのだから、舟には間違いなく何人もの男と女が乗っていた。これは後期旧石器時代を生きた、ふつうの男女たちの物語なのである。

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海部 陽介(国立科学博物館 人類史研究グループ長)

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200302-00070410-gendaibiz-sctch&p=4