整形で一番重要なのは、「えらを削ること」です。
下3枚は、赤くて、辛くて、酸っぱくて、臭い漬物の国の、整形のBefore/Afterです。
顔の整形に関しては、彼らは、世界ダントツ一の技術でしょう!
あえて欠点は、みんな同じ顔だということですが、
それにしても、美人になります。
やるだけのかいはあります。
逆に、やらなきゃ”損”です!
所で日本ですが、
世界一ひどい日本人の歯並びは、治療しないとだめです。
====================================
整形地獄にハマった元アイドルの主張「泣きながら“張ったエラ”を殴り続けた…」
2/8(土) 8:45配信
こんにちは、現役女子大生ライター雛野まほ(@hinanomaho)です。突然ですが、皆さんは自分のことを不細工だと思ったことはありますか? 私は逆で、自分はそこそこ綺麗なほうだと思っていました。
【閲覧注意】輪郭術後すぐの状態(ボカシなし)
でも15歳のとき、憧れていたアイドルになって初めて自分が「ブス」だと気づきました。どれだけ努力をしても人気が出るのはいつも可愛い子。ネットの掲示板では「ブス」と書かれ、高校で「アイドルのくせに可愛くない」と面と向かって言われたこともありました。
東京には、そこら中に可愛い子がいた
努力しても努力してもどうにもならない現実。「ブスならブスなり」にと、お笑い担当になり、ファンは少し増えましたが、この顔では憧れの正統派アイドルとしては、やっていけない現実に毎日泣くばかり。
大学進学を機にアイドルを辞めた私は、ますます自分の顔にコンプレックスを抱くようになります。
なぜなら東京には、街にも大学にもそこら中に可愛い子がいたから。「私は可愛いくない」。そう思うと何をしても楽しい気分にはなれませんでした。特にコンプレックスだったのは歯並びで、写真を撮る時は絶対に口を閉じ、人前で笑う時は手で口を隠していました。
ある日、いてもたってもいられなくなり、審美歯科(美しさに焦点を当てた歯科医療)で診察してもらいました。前歯6本のセラミックで50万円と、大学生の私には目が飛び出るほどの高額な値段でしたが、幼少の頃から母が貯めていてくれたお年玉の貯金で“即日施術”をしました。
綺麗に並んだ仮歯を鏡で見た瞬間、今まで感じたことのないような多幸感を抱きました。人前で口を開けられる……それだけで今までより何倍も楽しい瞬間が増えました。
自分の顔が少しずつ変わっていく嬉しさ
多幸感をもう1度感じたいがあまり、また整形をしようと思いました。今度は涙袋にヒアルロン酸を注入し、輪郭にボトックスという筋肉を衰えさせる注射を打つことに。結構な痛さでしたが、大嫌いな自分の顔が少しずつ変わっていくことに嬉しさが抑えられませんでした。
少し自信もついたことで、もう1度夢を叶えるために芸能事務所に入り、グラビアアイドルの仕事を始めました。
しかし活動の幅を広げたことで、以前よりも容姿を叩かれることが増加。コンプレックスである輪郭を指摘されるたび、「そんなことは分かってる」と最初は腹立たしさを感じていました。
が、徐々に洗脳されるがごとく、自分の輪郭が心底嫌いになっていったのです。鏡を見るたびに辛くなり、泣きながら「張ったエラ」を殴り続ける日もありました。
このままではおかしくなると感じた私は整形の情報を方々で集め、韓国で施術を受けることを決意し、「頬骨削り」「エラ削り」「口筋切除」を予約。金額は日本円にして約60万円。貯金はゼロになりましたが、その時の私にとっては大した問題ではありません。
これで「誰にも文句言われなくなるくらい可愛くなれる」とワクワクが止まらず、術中に亡くなるほどのリスクもありましたが、「この顔のまま生きていくなら死んだほうがいいや」とまで思っていました。
「もう死んでいい」とさえ思っていたが…
手術当日、先生になりたい輪郭の写真をいくつか見せ、最終確認をしました。すでに支払いは済み、あとは手術をするだけ。「よろしくお願いします」と言うと、「これでもっと可愛くなれますからね」と優しく微笑まれ、じんわり涙が溢れてきました。
手術台に横たわり、いざ手術を目前にすると、あまりの寒さに全身が震え、言葉にできないほどの恐怖が。さっきまで「もう死んでいい」とさえ思っていたにもかかわらず、今までにないほど心臓の鼓動が速まりましたが、足の甲に麻酔を刺されると次第に意識は無くなっていきました。
目が覚めると手術は終わり、回復室で横になっていました。看護師の方にお粥を食べさせてもらうと、じんわりと「生きててよかった」と思ったものです。
しばらくは息もしづらく、チューブの入ったままの耳の裏からは血が止まりませんでしたが、腫れが引いたあとのほっそりした輪郭を思えば、そんなことは苦でもありませんでした。
体重は40キロを切るまでに。心配されたものの…
3週間ほどして腫れの引いた私の輪郭はまさに理想の形。筋肉を切除したせいか、顔は麻痺したままでしたけど、「やって良かった」と心底思いました。
けれども満足感とは裏腹に、顔への誹謗中傷はどうしても尽きません。
「何がいけないのだろうか。鷲鼻だからブスなのかな」と結論づけた私は、次は鼻を治すことにして、芸能の仕事のない日は、毎日バイトに精を出す日々に。激務に加え、ほぼ食べずに過ごしたせいもあって、身長160センチで48キロだった体重が40キロを切るまでになります。
当然本業であるグラビアで、ファンの人に「痩せすぎだ」と心配されましたが、そんな声は無視。顔を変えることに執着しすぎて、「もう1度アイドルで有名」になるという夢を気づけば疎かにしていました。
見違えるような高く美しい鼻に
家族や友人たちにも手術のことは気づかれませんでしたが、あまりの痩せ具合にとても心配されました。しかし当時の私はもう止まれません。お金も貯まってきたので、再度渡韓し、40万円を支払って鼻の手術を行うことにしました。
「これで私の理想の鼻になりますか?」
「絶対に理想の鼻にします」
そう自信満々に言った先生の言葉に安心しましたが、今まで稼いだ時間、苦労を思うとお金を渡すときに手が震えました。人生2度目の手術台では、前回よりは心なしかリラックスでき、鷲鼻の部分を削り、鼻先には自分の軟骨を移植するという手術に臨みました。
術後すぐは鼻に溜まった血が詰まって息もできなかったものの、ギプスを外してみると、腫れてはいましたが見違えるような高く美しい鼻に。私は感動しきりでした。
小学生6年生からのリプライで我に返る
腫れが引いた鼻は、思い描いた理想の形をしていました。前より「鼻先が硬い」以外は完璧。あれほど嫌いだった鏡を食い入るように見つめました。
しばらく経ったある日、またまた懲りずに「顔が気持ち悪い」というリプライが。そのアカウントを見てみると、相手はなんと小学6年生の女の子。その時、ふと「今までなぜあったこともない人の言葉に傷つけられてきたのか」という思いが頭をよぎりました。
死ぬほどの思いをして、家族に心配をかけ、そして貴重な大学生活はバイトしか記憶にありません。大事な夢を忘れて、顔を変え続けることに人生をかけてしまい、なんて自分は馬鹿だったんだろうと痛感しました。
私が顔を変え続けている間、周りの大学生はサークルで仲間を作り、旅行し、恋をして、勉強をして……そう考えると、失ったもののあまりの大きさに後悔の念に苛まれました。
母に整形を気付かれ、号泣
綺麗な顔になって、前から知り合いだった男性からの誘いも増えましたが、全く嬉しくありませんでした。外見は変わっても、全く中身の変わってない私に声を掛けてくるということは、「世の中所詮、顔」なんだと、人間不信になったものです。
ある日、久々に帰省すると、母に「整形したの?」と聞かれました。私はとっさのことに言い訳できず、「うん」とだけ返答。母は今までに見たことのないほど、悲しそうな顔で「そのままであなたは充分可愛かったのに」とぽつりと言いました。
その瞬間、どれだけ母を悲しませたのだろうという感情で胸が溢れてしまい、「ごめんなさい」と泣きながら、謝まることしかできませんでした。
人前で笑えるようになった
整形をして失ったもの、辛いと思ったことはたくさんあります。
・家族、友人を心配させたこと
・整形の後に付き合った彼氏に、整形を告白するか悩んだこと
・戻れない普通の大学生活
・人間を信じられない心
・所詮、顔だと思ってしまう癖
・整形を叩くネットの声や現実の声を聞いたとき
それでも今、私は整形したことを後悔はしていません。
今の顔は気に入っていますし、人前で笑えるようになりました。それまでは自分のようなブスが服や化粧品を買っても仕方ない、とおしゃれする気もなくしていましたが、段々とおしゃれも楽しめるようになりました。
正気に戻ってからは、芸能事務所もやめて、自分の顔をそこまで気にすることもなくなりました。世の中、顔で判断される部分は確かに多いけれど、それでも終わりのない「整形地獄」を過ごすよりも、自分の顔を受け入れるほうが良いのではないかと今では思います。
整形に依存すると終わりはない
整形に依存すると終わりはありません。あの時、気づかなければ、私は一生整形し続けることになっていたでしょう。
だからこそ自分を好きになるための整形はしてもいいけど、人に認められるための整形は本当に意味がないものとも思いました。人の美的感覚は十人十色。
どんな顔になったとしてもあなたのことを「可愛くない」という人はいるはず。だからこそ、整形を考えている人は、「自分のため」の整形をしてください。
<TEXT/雛野まほ(@hinanomaho)>
bizSPA!フレッシュ 編集部