50歳で早期退職した元フジテレビ社員「出世コースから外れた」あとの生き方
11/25(月) 8:54配信
社会的強者であると同時に、裏では「使えない」「老害」「時代遅れ」「臭いし汚い」などと言われ放題なオジサン。オジサンはなぜ嫌われるのか? 現代版のイケてるオジサンになる方法とは!?
男社会の価値観を捨てることで生き方をアップデート
有名大学を卒業後、フジテレビに入社、ヒット番組やドラマ制作に携わり、海外にも赴任……誰もが羨む会社員人生を送っていた矢吹透氏(54歳)だが、今から4年前、50歳で早期退職制度に応募。現在は趣味の料理とエッセイの連載仕事をメインにのんびりと暮らしている。
「若い頃からクリエイティブな仕事への憧れがあり、テレビ局に入社しました。けれど、組織で評価されるには当然クリエイティビティだけでなく、政治手腕や外交スキルの高さも求められる。次第に体育会系のノリにも違和感を覚えるようになっていましたが、なんとか適応し、会社員としての責務を果たしていました」
ニューヨーク赴任中には当時のゲイリブ(ゲイ解放運動)の機運も受け、矢吹氏も徐々に自らがセクシュアルマイノリティであることを明かすようになった。
「ラクになった部分もありましたが、やはり会社の保守的なオジサンたちには受け入れられていないと感じることもありました」
環境へのストレスや自らの事情が複雑に絡み合い、帰国後に矢吹氏は抑鬱症状に。6年ほど休職を繰り返すようになる。
「出世コースから外れたと思いましたが、辞めたら生きていけないからと会社にしがみついている、そんな状態でした」
そんな逆境のなかで、矢吹氏は次第に考えを変えていく。
「仕事人間としては落第でも、私には失敗を含めた経験がある。そんな私の存在が誰かの癒やしになればいい。そう考えてからは、同僚や後輩に声をかけて、世話を焼き相談に乗ることに徹したのです」
みんなの気持ちに余裕を与える潤滑油でありたい
そして、矢吹氏は社内の潤滑油として信頼され居場所を見いだしていった。
「肩書や昇給など目に見える成功だけが価値ではないと気づきました。会社での肩書は『貸衣装』と遠藤周作さんが言ったそうです。定年したら返さなくてはなりません」
そんなことにも気づき、早期退職を決意。
「今後は文章や料理で、皆の気持ちに余裕を与えていきたいです」
現在の矢吹宅は多くの友人・知人が訪れる憩いの場だ。お手製の料理やデザートを楽しみながら、「貸衣装」を脱いで語らっている。
<矢吹氏のあゆみ>
’65年 東京都生まれ。幼少期をシンガポール・香港で過ごす
’86年 小説『バスケット通りの人たち』で第47回「小説現代新人賞」を史上最年少で受賞
’88年 慶應義塾大学経済学部を卒業後、フジテレビに入社。
ドキュメンタリー・情報番組セクションでAD・ディレクターとして、『カノッサの屈辱』、『ウゴウゴルーガ』、『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』などを担当
’97年~ ニューヨーク支社へ4年間赴任し、社長室に勤務。帰国後は映画部を経て、ドラマ制作、BSフジ編成、マーケティングなどに携わる
’15年 満50歳を機に、早期退職制度に応募し、退社
’16年~ 幻冬舎plusにて「美しい暮らし」連載中
<イケオジ3か条>
・休んだり逃げたりすることもときには大事
・出世コースから外れた自分を肯定してみる
・自分のためだけでなく周りのために生きる
【矢吹 透氏】
文筆業。早期退職を機に、築50年超の下町のマンションをリノベーションして住み始めることに。ビストロのようなキッチンは「Bistro Toh」の愛称で友人・知人に親しまれている
<取材・文/週刊SPA!編集部>
―[イケてるオジサン2.0]―
日刊SPA!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191125-01607360-sspa-soci