50万円で山を購入、ひとりで開墾して蕎麦店を作った男
11/19(火) 11:38配信
鹿児島県出水市(いずみし)の山深い場所に「東雲の里」(しののめのさと)はある。
ここは、広大な山の敷地に約10万本のアジサイが咲く大庭園だ。この場所を作り上げたのは、当時看板と陶芸の仕事をしていた宮上誠さんという一人の人物。
もとはジャングルのような手付かずの山だった。今から27年前の1992年、当時46歳だった宮上さんは、この土地の未知なる可能性にロマンを感じ、なたと鎌とつるはしで開墾を始める。この山に理想の蕎麦処と陶芸の窯を作ることを目標に。
無謀ともいえる挑戦。「そのうち音を上げてやめるだろう」という周囲の予想を裏切り、今では多くの人が訪れる観光名所になった。アジサイの時期は鹿児島のみならず、関東や関西、そして海外からも人がやって来る。園内はとにかく広く、マップがないと道に迷いそうだ。
広大な敷地にはアジサイ以外にも桜や椿、木蓮など多くの花や木が植えられ、蕎麦屋さん、穴窯、ギャラリー、展望所、茶室、宿、露天風呂、東屋……と、ありとあらゆる施設が備えられている。この規模を宮上さんと奥さん、息子さんの3人で現在運営している。
かつて山を相手に一人で奮闘し続けた宮上さんは、一体どんな人なのだろうか? 何を思って途方もない挑戦に挑んだのか? 話を伺いに行ってきた。
(※メニューの価格は取材時のものです)
まずは美味しいお蕎麦から
人家の少ない山中に「東雲の里」入り口が。
ひたすら山道を登って、まずは敷地内の蕎麦屋さんを目指す。
「歩く人が退屈しないように」という気遣いなのか、入り口付近にはこんな川柳も。
ようやく「生そば 草の居(きそば くさのい)」に到着! 入り口から300メートルくらいは歩いただろうか。
築120年の古民家を移築した店舗は「これぞ美味い蕎麦屋さん」といったたたずまい。
陶芸家でもある宮上さん手作りの器に季節の草花をあしらっており、見ても楽しめる料理だ。もちろん味も素晴らしい。
続いて十割蕎麦。毎朝石臼で引いた香り豊かな粉で蕎麦を打ってくれる。塩が添えられてくるので、まずは塩だけで蕎麦を味わってほしい。そば粉の香りをより強く感じられて、喉越しもつるんと心地良くとてもおいしい。
蕎麦以外のイチオシは、出汁に蕎麦つゆを加え旨味たっぷりの「蕎麦屋の卵焼き」(550円税込)。温もりを感じる木製ナイフで切って食べるのも楽しい。
海の男も呆れた、宮上誠さんの開拓物語
蕎麦と卵焼きでお腹を満たしたところで、さっそく宮上さんに話を聞いてみた。
そもそも、どうして未開拓の山に蕎麦屋さんを開こうと考えたのだろう。
宮上さん:うどん、ラーメン、ちゃんぽんは街でいい。でも蕎麦だけはどうしても景観が必要。あと、陶芸の窯も作りたかった。ここを見に来た時に、川があって蛍が飛んでいるし、奥には滝もあって、特別な場所を作れると思ったよ。
そうして宮上さんは資本金50万円で山を購入。開墾を始めた時、46歳だった。
宮上さん:もう最初はジャングルで。当時は看板と陶芸をしていて、仕事が終わった17~18時くらいに来て毎晩作業しとった。冬は真っ暗でね。外灯も何もない山奥だから、車のライトを頼りに作業していたよ。しかも金がないからぜーんぶ手作業!
この辺りは山が広がるばかりの土地。手作業で開墾なんてどこか別世界の話に聞こえてしまう。
宮上さん:金がないなら身体を張るしかないでしょ。高い道具は買えないから、なたと造林鎌(ぞうりんがま)とつるはし。この3つで作業しとったよ。
未開拓の山を切り開くのに、使う道具はあくまでも原始的。誰がここに4万坪の庭園が完成すると信じられるだろう。
宮上さん:こんなエピソードがありますよ。船乗りをして定年を迎えた知人が暇しとって、手伝いに来てくれた。ここへ案内したら当時はジャングルでしたから「どこにあるの?」と聞かれて。「ここですよ」と言ったら「はあ!? 人間の手でできるところじゃないよ。機械いれんとこんなのできんわ」と呆れて帰ってしまいました(笑)。そのまま一回も来ん。
それからお金がたまるたびに、少しずつチェーンソーや草刈り機を買い足していった。草を刈るたびに蚊や蜂にやられ、虫との戦いでもあったという
大きな石や木は取り除き、歩きやすいように整備。それを4万坪分。並大抵の気力体力ではできない。最終的に、約400メートルの頂上まで開拓。道を整備して山を登れるようにした。
宮上さん:自然そのものを“キャンパス”と考えて程よく手を加えるのが好きです。滝も川も木も草花も元からあって、人の手では決して作れない造形。だから、それらをうまく生かしながら作っていくのが楽しいんです。
宮上さんの開墾方法は、山への敬意にあふれていた。
不審に思った住民から声をかけられ……
一心不乱に山を開墾する宮上さん。当時の集落の人たちはどのように思っていたのだろうか。
宮上さん:地域の人たちは「この男は一体毎日どこで何をしとると?」と不審に思うわけですよ。ある日、車を停められて「ショクシツ」されました。
職務質問の主は、駐在の警察官……ではなく近所に住んでいた前田さんだった。宮上さんの2~3歳年上だ。
宮上さん:やりたいことを話したら、意気投合して。前田さんは街の方に家を買って集落から離れようとしていたみたいですが「じゃあ俺も山を下らん、ここで頑張る」とシイタケの原木栽培を始められました。やっぱり皆故郷は捨てたくないわけですよ。手伝いにも来てくれるようになりました。
雨の日も、風の日も、冬の寒い日にもめげずに毎日開墾を続ける宮上さん。その姿はいつしか周囲の人を惹きつけ、前田さんだけでなく手伝いに来てくれる人が増えてきた。また、お金がたまるたびに人を雇って作業をお願いした。
宮上さん:ある時、前田さんが耕運機で畑を耕しに来てくれたんですよ。でもそこはものすごく急な坂の下にあって。どうにかして耕運機で坂を下ったみたいだけど、今度は坂が急すぎて上がれなくなってしまった。最終的にクレーンを頼んで引き上げました(笑)。
それから一緒に村おこしのイベントをするなど、前田さんが事故で亡くなる数年前まで長い付き合いを持ったそうだ。
すい臓がんを克服し奇跡の復活
そうやって周囲の助けも得ながら7年もの年月をかけて開墾したところで、宮上さんは体調を崩して病院へ運ばれてしまった。
宮上さん:大学病院に運ばれて死を宣告されました。すい臓がんでした。手術は12時間くらいに渡って、すい臓の三分の二から、胆嚢、腸、十二指腸、胃の三分の一まで取ることになって。もう20キロくらい痩せてふらふらになって山へ帰ってきました。
なんとか一命を取りとめた。
宮上さん:半面「このまま死ぬか、絶対日本一美しい蕎麦屋を作るか」という思いが強くなりました。そこから川の向かい側を開墾して、道路を作って、橋をかけて、宿や茶室、穴窯、ギャラリー、風呂、田んぼを作って。杉山をさらに分けてもらってどんどん切り開いていきました。いろんな方にお手伝いしてもらって。
結局すい臓がんだって言われてから20年生きていますから。手術後は疲れやすいし、長く作業できないし、でもハッキリとした目的意識を強く持っているからこそ生きてこられた感じがします。
10万本のアジサイにこめた思い
「アジサイを植えたのはどうしてですか?」と聞いてみる。
宮上さん:人も神様も花に寄るんですよ。お寺には菖蒲寺、椿寺、アジサイ寺と花のお寺がありますし、神様を迎える床の間には花を活けます。あと、北海道のハーブ園や長崎のハウステンボスのバラ祭りは世界中から人が来る。だから、園内を花でいっぱいにしようと思って。
業者さんに日本全国からアジサイを送ってもらって、地元の方にも株を分けてもらって増やしていきました。屋久島アジサイから北海道の蝦夷アジサイまで、日本の北から南までいろんな品種を揃えました。
アジサイは、ドイツ人のシーボルトが長崎から持ち出して海外で品種改良され、華やかな姿になって帰ってきた花です。日本の在来種は派手な美しさはありませんが、詫び寂びを感じさせてくれ、しみじみとした良さがあります。
新種のアジサイに奥さんの名前を
ここ東雲の里では、自然交配が進んで今ではおよそ200品種のアジサイが植わっているという。屋久島アジサイと蝦夷アジサイをかけ合わせて生まれた新種には、奥さんの名にちなんで「真里姫」と名付けた。
宮上さん:奥さんは恥ずかしがりますけどね、名前が残りますから。
他のアジサイは株を販売することもあるが、「真里姫」だけは門外不出なのだそう。奥さんとの馴れ初めも山の開墾。近くに住んでいた奥さんが、手伝いに来るようになったのが縁だ。
宮上さん:続けられてきたのは彼女の存在がすごく大きいです。よくこんなところに来てくれましたよね。お金やらいろんな管理を任せています。自分は借金やらなんやらがあるのか細かいところはよくわかっていない(笑)。
アジサイに続き、桜、モモ、レンギョウ、白木蓮など、次々と花を植えていった。さらに鹿児島の山に自生していた絶滅危惧種のハヤトミツバツツジも。
一面が花で満たされると、今度は四季折々の風景が楽しめるようにと、見晴らしのいいところに第一、第二、第三展望所を作った。ある程度敷地が完成したところで、一日2組限定で旅館の運営をスタート。なんともぜいたくな宿ではないか
お金じゃない「人儲け」
4万坪の土地を開墾して花を植える。果たして一体どのくらいお金がかかったのだろうか。
宮上さん:資本金は50万だったけど、それ以外はもうほとんどわからんなぁ。看板や陶芸の仕事で稼いだお金を全部つぎ込んできましたから。まあでもみんなが協力してくれますから。植木屋さんも安く仕入れられるよう頑張ってくれました。自分一人だけじゃこれはできませんよ。どれだけ人に助けてもらったか。お金だけじゃなくていろんな人と出会って“人儲け”ですよ。
父が耕し、息子が蕎麦を打つ
宮上さんが開墾を始めて24年の歳月が経った頃。蕎麦修行から戻ってきた息子さんも加わって、念願の蕎麦屋さん「生そば 草の居」が開業した。宿を休止し、蕎麦屋さん中心の運営に切り替えたのは、つい3年前のこと。すべての条件が出揃った上での、念願の「蕎麦店」のスタートだった。
息子さんの覚光さんにも話を聞いてみた。
──子どもの頃からここで働こうと思っていたのですか?
覚光さん:小さい頃から「ここを継ぎなさい」と、ほぼ洗脳ですよね(笑)。でもここが好きなので、継ぐのは前提でした。静かで空気がきれいだし、果物をたくさん植えているので鳥がいっぱい来て、朝アカショウビンが鳴いている声がきれいだなと思います。
そして、継ぐための収入を得る手段として蕎麦屋さんを選択。高校三年生の夏休みには蕎麦屋さん巡りをして、弟子入りしたい店を探した。
覚光さん:長野や東京とは違って九州ではあまり弟子をとる文化がなくて。高校生の志願者もいなかったみたいでほとんど断られましたが、最終的に熊本県の黒川温泉近くで働けることになりました。
──水のとてもきれいなところですね。
覚光さん:蕎麦は水のおいしさが大事。ここも山の湧き水を引いて使っています。その管の結合部があるんですけど、猪が上から石を落としたりして外れてしまい、水が来なくなっていることもあります。そんな時は急いで見に行きます。
山での暮らし、都市部とは違った大変さがある。けれど、宮上さん親子に共通しているのは、その様子を明るく楽しげに語ることだ。
覚光さん:あと、修行先の師匠があんまり水をはからずに「あとは指先の感覚で覚えなさい」と教えてくれて。そうしたらどんなそば粉でも対応できる、水回しの大切さを教えてもらいました
──これからはどんなことをしていきたいですか?
覚光さん:この場所を守って植林を続けながら、バランスを見て足すところは足して、引くところは引いてしっかり管理していこうと思っています。父はどんどん手を広げていくので、付いていくのに大変です(笑)。僕は自分の手が届く範囲で仕事をしたいタイプなんですよ。
でも父はとても人生を楽しんでいますので、好きにしてもらっています。サポートをしていければと思います。
山を守るには人の手が必要だ
こうして宮上さんの四半世紀に渡る話を伺ってきたが、驚くのはその多彩さだ。開墾の傍ら陶芸、工作、蕎麦栽培などありとあらゆることに情熱を注ぐ。そしてそのすべてが並々ならぬスピードとパワーで進むから圧倒される。
覚光さん:これからは、ピザ窯や燻製窯も作ってみたいですね。陶芸もどんどん新しい作品にチャレンジしたい。
宮上さん:もちろん山にも力を入れたいです。日本の国土の約7割は山で、川や海の一番上流にあるからこそ、環境を整えることは地域全体の保全にも繋がっています。山にはある程度人間が手を入れないと、木が生い茂りすぎて大地に光が届かなくなります。
そうなると、下草が生えず、表土はむき出しになる。結果、大雨で表土が川に流れて濁り、魚がいなくなってしまうという。
宮上さん:海の仕事に携わっている人たちも山に植林しますよね。それはやっぱり山が豊かにならんと川や海が豊かにならないから。必要な木だけ残して、手を入れてやらんといかん。大地に光を入れて。そうすると鹿も猪も草があるから里に下りてこないで済む。
これからは「地域おこし」ではなく「山おこし」が大切と語る宮上さん。27年現場を見続けた人の言葉には重みがある。
宮上さん:やるだけやって、燃えるだけ燃えて、ああよか人生だったありがとうと笑って死にたい。すればするほど山はきれいになるし、面白さは尽きないですよ。
4万坪もの広大な自然をひとりで切り開き、四半世紀もの時間をかけて己の夢を手に入れた宮上さん。ぜひともこの地を訪れ、息子が腕によりをかけて作る自慢の蕎麦を味わってみてほしい
〈店舗情報〉
東雲の里「生そば 草の居(きそば くさのい)」
◇住所:鹿児島県出水市上大川内2881
◇電話番号:0996-68-2133
◇営業時間:11:30からなくなり次第終了 喫茶コーナーは11:30~17:00
◇定休日:木曜日、金曜日
◆書いた人:横田ちえ
鹿児島在住フリーライター。九州を中心に取材、WEBと紙の両方で企画から撮影、執筆まで行っています。鹿児島は灰が降るので車のワイパーが傷みやすいのが悩み。温泉が大好きです。
※記事内の価格は、原則総額表示です(一部、税抜表示あり)。
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