7000年前のスウェーデンの女性を復元、「特別な存在」、近日公開
11/14(木) 17:13配信
肌は浅黒く、瞳の色が薄い最後期の狩猟採集民、骨とDNAと埋葬方法を分析
考古学者らは、その女性に「22」という番号を振った。実物大の像を復元した彫刻家は「シャーマン」と呼ぶ。それを展示する博物館のスタッフにとっては「座る女」だ(少なくとも今のところは。他にいい呼び名があれば受け付けるそうだ)。
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彼女の本名を最後に口にしたのは、およそ7000年前、現在のスウェーデン南部に広がる豊かな湿地帯や森に住んでいた誰かに違いない。その名前は歴史のかなたに失われてしまったが、考古学者であり彫刻家でもあるオスカー・ニルソン氏らのチームによって女性が復元され、この11月17日からスウェーデンのトレレボリ博物館で公開される。
女性は動物の角の上にあぐらをかき、頭を上にして埋葬されていた。動物の歯を100本以上ぶら下げたベルトを腰に巻き、大きな板をあしらった首飾りを着け、肩は短い羽毛のケープで覆われていた。
女性の骨から、身長は150センチほどで、死亡時の年齢は30~40歳であることが明らかになった。中石器時代のヨーロッパには、肌が浅黒く、目の色が薄い人々が住んでいたことはわかっていたが、この女性と同じ墓地で発掘された他の遺骨のDNAからも、それが確認された。
農業はすでに伝わっていた
スウェーデン、ルンド大学の考古学名誉教授であるラース・ラーソン氏は、1980年代初頭に22番を発掘したときのことを覚えている。場所は、スウェーデンの町トレレボリに近いスケートホルムの遺跡だった。スケートホルムでは、紀元前5500~4600年の墓が80以上確認されている。埋葬法は様々で、2人1組だったり、犬と一緒だったり、犬だけがぜいたくな副葬品とともに埋葬されている墓もあった。
だが、22番のように、座った格好で埋葬されていた例は珍しい。その墓はひとつの塊のまま掘り起こされ、そのまま研究室へ運び込まれた。
「スケートホルムで最も発掘が大変な墓だったと思います」とラーソン氏は振り返る。
スケートホルムをはじめ、スカンディナビア半島南部の海岸沿いに残る中石器時代後期の埋葬地は、考古学者から特別な関心を集めている。というのも、新石器時代の農耕民族がヨーロッパ本土へ農業を持ち込んだ後も、1000年近くの間、狩猟採集社会が残っていたためだ。
スカンディナビア半島で農業が遅れて始まったのは、地理的に離れていたからというわけではなさそうだと、ラーソン氏は語る。スケートホルムで発掘された副葬品は、ヨーロッパ本土の農耕社会と交易関係があったことを示唆している。むしろ、彼らは狩猟採集生活を選んでいたのだろう。
「狩猟採集民は文明化されていない人々だと考えられがちです」とラーソン氏。「ですが、狩りをし、採集し、漁をする好条件が整っているのであれば、なぜわざわざ農業に移行する必要があるのですか?」
高い地位にあったことは明らか
骨とDNAを使って体は復元できるものの、当時の社会における彼女の役割については、「特別な存在」以外のことは言えないとラーソン氏は釘を刺す。
トレレボリ博物館長のインゲラ・ヤコブソン氏も同じ意見だ。「副葬品を見れば、彼女が社会のなかで何らかの特別な地位についていたことがわかりますが、それ以上のこととなると何も断定できません」
しかし、ニルソン氏は芸術家として、自分の目に映ったと思われるものに注目した。「様々な解釈ができるでしょうけれど、私の目から見たら、彼女は絶対にシャーマンです。動物の角の上に座った格好で葬られていて、強い印象を受けました。とても重要で、高い位についていたことは明らかです」
頭部については、ニルソン氏はまず元の頭骨をスキャンし、3Dプリンターを使って正確なレプリカを作成した。次に、人種、性別、そして死亡時の推定年齢が骨の構造や皮膚の厚みに反映されるよう、手作業で肉付けをした。
体については、似たような身長と体形の知人を雇って、あぐらをかくポーズをとってもらった。ニルソン氏と同僚のイライン・クムランダー氏、キャスリン・アブラハムソン氏がモデルの体の石膏型を取り、シリコンで成型した。ベルトに使う動物の歯130本など、地元で集めた材料を使って、ヘレナ・ジャエルム氏が服や装飾品を製作した。
「どこかで会ったことがないかしら」
何よりも人の目を引き付けるのは、魅力的で力強い表情だ。
「ここまで個性を持った復元作品を作ることはめったにありません」と、ニルソン氏は言う。「けれども、彼女は特別です。いったんシャーマンだったと決めてみたら、表情を作るのが容易になりました。彼女は顔の筋肉をほとんど動かすことなく、意思を伝えていたように感じます」
「シャーマンは、この世とあの世をつなぐ橋のような存在です。それが表情に出るように注意しました」
博物館長のヤコブソン氏は、復元された女性を最初に見た時、鳥肌が立ったという。「彼女の瞳には、何か特別なものが宿っていました。本当に傑出していました」
博物館で講師を務めるマリア・ジーボン氏は、像を見た時デジャブのような不思議な感覚を味わったという。「どこかで会ったことがないかしらと思いました。普通とは違う形で彼女のことを知っているような。もしかしたら、遠い知り合いに似た人がいるのかもしれません」
そして、こう付け加えた。「時や場所は違っても、私たちは皆同じ人間です」
文=Kristin Romey/訳=ルーバー荒井ハンナ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191114-00010001-nknatiogeo-sctch&p=2
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1万年前の「チェダーマン」復元! 肌は黒、目は青
イギリスで発見された人骨を復元、DNAシークエンシング技術で分析
「チェダーマン」と呼ばれている約1万年前の人骨がある。1903年に英国で発見されたその人骨を基に顔を再現したところ、明るい青色の目、わずかにカールした髪、そして黒い肌を持っていたことが明らかになった。(参考記事:「ストーンヘンジの10倍!英国最大の環状遺跡を発掘」)
「一般の人々には驚きかもしれませんが、古代のDNAを扱う遺伝学者にはそうでもありません」と述べるのは、英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の科学者マーク・トーマス氏だ。
実は、スペイン、ハンガリー、ルクセンブルクから中石器時代の黒い肌を持つ古代人が見つかっており、そのDNA配列はすでに解明されている。今回行われた新たなDNA分析により、チェダーマンは彼らと遺伝的に近いことが証明された。また、1万1000年ほど前の最後の氷河時代の末期にヨーロッパに移住したと考えられる狩猟採集民の一団に属していたこともわかった。(参考記事:「ネアンデルタール人のゲノム解読、我々の病に影響」)
英国のチェダーといえば、チェダーチーズで有名だ。しかし、チェダーマンがそう呼ばれるのは、チェダーチーズが好物だったからではない。チェダーチーズが生まれたのは、チェダーマンより少なくとも3000年は後のこと。チェダーマンの名は、英サマセット州のチェダー渓谷で見つかったことに由来する(偶然にも、チェダーチーズ発祥の地も同じ場所だ)。
チェダーマンの顔の復元作業は、トーマス氏を含む大規模なチームがロンドン自然史博物館の協力を得て実施した。
修復作業の第一歩は、頭蓋骨の測定だった。「頭蓋は厚くて重く、顎は比較的薄くなっていました」とトーマス氏は話す。続いて、ゲノム配列全体の分析が行われ、チェダーマンは、遺伝子地図が作成された「最古のイギリス人」となった。その配列から、肌の色、目の色、髪の種類が明らかになった。(参考記事:「4千年前の「高貴な族長一家」、リアルに復元」)
最後に、チェダーマンに命を吹き込む作業が行われた。熟練のモデル制作者であるアドリエ・ケニス氏とアルフォンス・ケニス氏という双子のオランダ人は、3Dスキャナーと3Dプリンターを利用して、復元された骨に「肉」を追加した。(参考記事:「アイスマンの衣類に使われた動物を特定」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/020900061/
太古の遺伝子から色を再現
トーマス氏によると、研究者たちがチェダーマンの姿をはっきりと認識できたのは、新たなDNAシークエンシング(遺伝子配列の特定)技術によって遺伝子に含まれる大量のデータから復元に必要なものを取捨選択できたおかげだという。
ナショナル ジオグラフィックのゲノムプロジェクトでサイエンスマネージャーを務めるミゲル・ビラール氏によると、肌の色を決める遺伝子はさまざまな染色体にまたがっている。同氏は今回の修復作業に関与していないが、修復作業を行うには無数の場所に点在するデータを調べる必要があり、以前の技術では、太古のDNAに対してそのような作業を行うのは不可能だったと話す。(参考記事:「人類3種が数万年も共存、デニソワ人研究で判明」)
一方、新たなDNAシークエンシング技術では、点在する染色体の解読が簡単に行えるようになったという。「本に例えると、章全体を調べるのか、一つの単語だけ調べるのか、ということです。現在の技術でば、すべてのパラグラフを解読することができます」
トーマス氏によると、「目の色を決めるのは、ある特定の遺伝子と、その遺伝子の中にある特定の変異体」だという。「肌の色は、たくさんの変異体によって決まります」(参考記事:「金髪と白い肌、青い目は無関係だった」)
この地域の人々は時間とともに肌の色が薄くなっていったが、その理由や時期についてはわかっていない。
「肌の色が薄ければ、浴びる紫外線が多くなり、生成されるビタミンDも多くなるからでしょう」とビラール氏は推測する。ビタミンDは健康な骨を作るのに欠かせないが、紫外線を浴びることでも生成される。しかし温帯地域では、人が日光を受ける頻度は少なくなるため、多くの紫外線を吸収できるように、肌の色が薄くなったというわけだ。(参考記事:「30年前の議定書が「5分で火傷の世界」を防いだ」)
「私の見解では、肌の色についてはそれが最も説得力のある説です」とトーマス氏も同意する。「しかし、この説では目の色は説明できません。何か別のプロセスが起こっているのです。性選択に関わることかもしれませんし、まだ私たちが理解していないことかもしれません」
2014年の研究で提唱された別の説もある。人間が耕作を始めるようになったことで食生活の多様性が減り、日光からより多くのビタミンDを吸収しなければならなくなったというものだ。なお、現在の食生活では日光を浴びなくてもビタミンDをまかなうことができると彼は付け加える。(参考記事:「黒い肌は皮膚癌を防ぐために進化?」)
トーマス氏によると、今回の復元プロジェクトにとって、肌の色は些細なことでしかないそうだ。現在、研究者たちは、食事の変化や病原体との接触によって、この1万年の間に人口がどう変化してきたのか、幅広い調査を行っている。
「時間とともに変化する遺伝子を測定することができれば、進化の過程をはっきりととらえることができます」(参考記事:「人種の違いは、遺伝学的には大した差ではない」)
文=Sarah Gibbens/訳=鈴木和博