先日、車でお年寄りをご自宅へ送っているとき、窓の外を見てこう言われた。

 

 

「今日は季節に似合わず暖かい日だね。こんな日は、子供のころに行った縁日を思い出すよ。ちょうどこんな時期、その日は生暖かいような日で、縁日を友達とまわったなぁ。」

 

 

何気ない言葉だったが、胸がきゅっとなった。

 

 

家を出てから自転車に乗り、裏の田んぼ道を行く。土と草の匂いに、頬に感じる風の暖かさ。お寺に向かう砂利道を抜けると、クレープの甘い匂いに、人々の笑い声。

 

 

「あ、私もそれ覚えてる…」

 

 

そう、その言葉一つで、私まで縁日を感じてしまったのだ。

 

 

 

 

 

もちろん、私の思う縁日と、90歳を過ぎたお年寄りの思う縁日は同じものではないだろうが、頭の中に浮かぶ景色と懐かしさは、似たようなものがあったと思う。

 

 

車窓からの風景一つをそんな風に切り取ってしまうなんて、素敵だ。

 

 

いつもなら気にも留めず、いい天気ですね~なんて言って過ぎてしまう時間が、ちょっとした事で特別な時間になってしまった。

 

 

素直に、素敵な人だなぁ、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな事があってしばらくしてから、本屋で一つの本が目にとまった。

 

≪日日是好日「お茶」が教えてくれた15の幸せ≫

 

という本だ。有名な本だし、そういえば以前、友人が読んで良かったと言っていたし、買ってみようかな。

 

そんな気持ちで購入し読んでみたところ…わぁ!お茶ってこういうものだったのか!と、思っていたお茶に対するイメージがすっかり変わってしまった。

 

私のお茶に対するイメージは、作法にのっとり客人をもてなす、というくらいのもので、あの「お茶」という空間と人の中に、そんな感情やストーリーがあったのだとは…知らなかったし、想像したこともなかった。

 

 

 

 

 

 

そして読みながら、90歳のお年寄りとのエピソードを思い出していた。

 

窓の外にある、ありのままの世界を切りとって感じ、それに過去の感情を重ね合わせて言葉とする。

 

ありのままの世界の中で、四季を感じ、自己を知る。

 

俳句やお茶の世界って、こんな感じなのかなぁ…そういえば90歳のお年寄りも、俳句をたしなむ人だったと思い出した。

 

きっと、私よりキラキラした世界が見えていて、その片隅を見せてもらったんだと思った。

 

 

 

 

 

 

自己を知るって、どうなんだろう。

 

頭の中には常に考え事や悩みがあって、それがスッキリなくなる事はそうない。

 

スッキリ無くなる=問題が解決して不安が無くなる、を目指すがために、常に問題を考えながら生活している自分がいる。

 

 

著者もそんな思いを綴っていた。そんな時にお茶は、ただ空白の中で自分を解き放す、深い安らぎの瞬間を与えてくれるとも。

 

 

その時間がある事で、自分を知り、自分を保っていくことが出来るとしたら、お茶ってすごい、深い…。

 

 

習ってもいないのに、お茶の世界に関心しっぱなしで、著者の感情に共感できるところもたくさんあり、読み終えた時なぜだか安心してしまった。

 

 

本の内容と日常の出来事がシンクロし、思っていた以上に感じるものが多い一冊となった。

 

 

お茶にもとても興味をもったが、やるやらないという事ではなく、自分との向き合い方として、考えさせられた。

 

 

本も、自然も、私に与えてくれるものは大きい。それに気づき感じられる自分でありたい。

 

自分の中の余白、作っていきたいなー!!