昨年、ベランダで生ゴミ堆肥を作ってみた。
ずっと生ゴミのリサイクラーが欲しいと思っていたのだけれど、置き場所や価格などに折り合いがつかず購入に至らなかった。そしてただ時間だけが過ぎ去り、欲しいなあ、という思いだけが置き去りにされていた。


そんなある日。
雑誌をパラパラ捲っていると、段ボールで堆肥が作れるという記事が載っていたのだ。やり方は実に簡単。段ボールにくんたんとピートモスを用意し、生ゴミを混ぜて発酵させるだけというものだった。


実際にやってみると注意を払わなければならないことがいくつかあり、毎日の処理が必要なので手間がかかる。発酵がなかなか進まず、堆肥化されないという事態にもなり辟易した。
ネットで検索してみると最初から上手くいく例というのはあまりないらしい。始めるには簡単だが、成すにはコツが必要であるということか。なるほど。

エコライフを長く行っていく秘訣は自分が出来ることを見つけていくことにあると思う。誰かに押し付けられてやることは続かないが、自分が「これをしよう」と決めたことについては、比較的続けていくことが可能だからだ。
たとえばエコバックやマイ箸を持参すること、料理は食べきれるだけの量を作ること、ランチはお弁当を持参することなど、一人一人のライフスタイルにあったものを選んで行うことが出来る


昨年の私は実にエコに目覚めていた。エコバッグや料理制限、お弁当はもとより、ベランダ堆肥に夕方6時以降のキャンドルナイト、テレビやパソコンをOFFする生活を遂行した。グリーンを育ててアロマを焚いて、ハーブティーを飲むような日々。『不都合な真実』を観て、読んで、マイカーを買うのはまたもや見送った。そうしていくと、贅沢が削ぎ落とされて穏やかな気持ちを得るようになった。言葉を変えると闘争心がなくなったのだ。

これは良いことなのだろうか。
それまでの自分はどこか野心に燃えてぎらぎらしていた気がする。利己的で自尊心が強く鼻持ちならなかったようなところもあったのではないか。それが、エコシフトすることで心から穏やかになっていくのだから不思議なものだ。

とはいえ、実はエコライフは手間が掛かる。そもそも時間や気持ちに余裕がないと出来ないことでもあるのだ。あるいは、そのために時間や気持ちに余裕を持たせるという考えを持つべきであるというか。


秋口から新しい仕事になり、この春からは職種も変わって忙しくなってしまった私は、実はエコライフから遠ざかりつつある。

エコバッグを忘れて買い物に出かけてしまうし、グリーンは枯らしてしまっている。勿論段ボール堆肥を作ることなど不可能。かろうじてランチはお弁当で料理は捨てない程度に作る……といった類いのことしか出来ていない。ああ、人間ってすぐに堕落してしまう生き物なのだ。


それにしてもだからだろうか。最近以前に比べると怒りやすくなったような気がする。いや、以前のように怒りやすくなったというべきか。ううむ、楽をして得を取るということはこの世の中にはないのだね。子どもからしてみるとエコライフを送る母の方が断然いいに違いない。だってむやみやたらと叱られなくって済むのだから。


今年はまたベランダ堆肥に挑戦しようか。そういうエコライフが、身体に染み込むようになればいい。それがただいまの願いである。


written by YUKAKO