8月6日 広島 在特会と左翼デモ | 我が国のかたち

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平成22年の尖閣事件で自虐史観から解放された私。気づけば日本は大変なことになっておりました。

昨日は、広島原爆記念式典。私は、午前中から平和公園へ行った。

自慢ではないが、私はこれまで広島市民でありながら平和祈念式典には参加したこともないし、8/6に平和公園へ行ったこともない。

その理由は、興味が全く無かったからだ。

広島はご存知の通り平和学習にウルサイ土地柄である。小学校の時には必ず原爆について学ぶ。

ところが、そこに慰霊の気持ちは無い。
「被爆者は戦争の犠牲である」が軸である。結局、広島で多くの同胞が一瞬で亡くなったことよりも、「日本が戦争をしたから原爆を落とされ、多くの人が亡くなった」の印象となる。

学校やマスコミの声が頭の中で勝ってしまうのだ。

もし、心ある教師が

「私たちの同胞、名も無き一般の市民が原爆によって殺されました。一人ひとり生活があり、家族があり、兄弟姉妹があり、近所づき合いがあり、普通に生活していた人たちが一瞬で亡くなりました。罪もない20万もの人が一瞬でお亡くなりになったのです。亡くなった方々の悔しさ、生き残った方々の辛さを感じなければなりません。広島はこの人たちの犠牲の上に成り立っています。今でも広島の土地の下には埋もれたままの骨もあるのです。だから私たちは、その人たちに心からの慰霊をしなければいけません。慰霊碑に心を込めて手をあわせましょう」

といった教育をしていれば、「慰霊」の心は育ったと思う。

しかし、学校、TVでは「だから戦争は悲惨だ、戦争はいけない」がくっついてくる。
記念式典での小学生が発表する「大人が書いた」言葉がそれをよく体現している。

多くの人は「平和」にはウルサクとも「慰霊」には興味が薄い。
私もかつてはそんな男だった。だから原爆の日に平和公園に足を運ぶことなど無かった。

昨日、多くの人が平和公園にいた。
しかし、どれだけの人が公園内に多々ある慰霊碑に手を合わせたのだろうか。


この日の広島は毎年左翼にとってはお祭りの日である。
公園周辺、公園内のいたるところで集会が開かれていた。

私が今回平和公園にいったのは、慰霊と保守団体(在特会)の抗議活動を見るためである。
原爆の日に保守派の抗議活動が行なわれたのは、広島では初めてのことである。

思考停止の広島人に「核武装」「原発推進」を訴えることは難しい。
何故「核武装」をしなければならないかが分からない。
何故、原発を止めると国防に危機が訪れるか、
何故、原発を止めると国力が低下するかをを知らない。
これは、こういったことを話しあう言論の場が全く無いからだ。

だから、60~70年代にセシウムが今の1000倍降っていたことも、
山手線内側全面に太陽光パネルを施設しても、原発1基分の8%の発電しか無いことも、
北朝鮮や中国の核が日本に向けられていることも知らない。

在特会はその行動の過激さと、言葉の汚い部分が話題にされがちだが、街宣をキチンと聞けば彼らの話す内容は論理的で矛盾がなく「核武装」「原発推進」を訴えることの意義が良く分かる。

しかし、街宣を最後まで聞く人は少ない。

そういった背景を考えると、「知らない人が見ても趣旨が分かる告知」がもっとされていればさらに意義が上がったのではないかという印象を受けた。

しかし、思考停止の広島人に対して「核武装」を訴えた在特会の皆さんの行動は、広島の言論界に一石を投じたと思う。その行動には大きな意義があり、私は心から感謝をしたい。



我が国のかたち ~デトックスジャパン~-在特会


▲>>>②~はニコ動でご覧ください。

当然、右がいれば左がいる。
やはり、左の強い広島だけに、左翼のデモ人数は多かった。

彼らの主張は勿論「反原発」であった。
何度か書いたが、私は国防、経済、代替燃料、原発を止めるまでの行程の議論、対策を欠いた「反原発」には大反対である。
彼らは究極の結論「反原発」のみを用い、原発を止めることの影響、重大さに全く触れずイタズラに原発の恐怖をあおっているだけだ。まさに思考停止の見本市である。

しかし、左翼は右に比べると宣伝はうまい。
耳触りの良いキーワードと、告知物、鳴り物の活用は右より遥かに上だ。
以下の写真にもあるように、幟旗などを使って何も知らない人にも「何を訴えている」のかが分かようにしている。

「宣伝はうまい」と書いたが、これは能力が高いという意味ではない。
広告費がある、つまり金を持っているということだ。
逆を言うと右には金が無いのだ。

左翼は金になる。どんなに綺麗なコトを言おうが、根底はタカリ屋である。
主義・思想ではなく結局は金なのだ。
金のためには国がどうなっても良いという意識を感じる。
私は、ここに左翼の危険性を強く感じる。

直情径行型の正義感に駆られ運動に参加している学生やおばさんは、
カンパ・募金した金を搾取されていることを知らねばならない。


▲朝っぱらから周囲の迷惑も考えず、警察に許可も取らず騒ぐ学生。何故福島で原発による死者がでていないのに「第三の原爆」なのか?言いたいことは分かるが、これはコトを必要以上に大きくする論旨のすり替えに過ぎない。だから言ってることに辻褄があっていない。「原爆」と言うのならば中国・北朝鮮にも文句を言わねばならない。結局マスコミ、世論の後押しがある東電、文句を言ってこない自分の大学への抗議で終わっている。学生左翼ってのは今も昔も何も変わっていない。だが本人が雰囲気に酔っているのはよく分かる。他の学生も似たようなもんだ。とてもカッコワルイ。

我が国のかたち ~デトックスジャパン~-左




私が怒りを覚えるのは、彼らの主張は無論のこと、
彼らの活動は「原爆死没者に対する慰霊」とは全く関係がないことである。
何故、労働組合、差別、反原発、東電、全学連が「慰霊の日」と関係があるのか。
この時点で広島市民として「二度とくるな」という気持ちでイッパイになる。

この怒りを抱えたまま、私は田母神閣下、青山繁晴さんの講演会へ向かった。

続く。

我が国のかたち ~デトックスジャパン~-Detox Japan