一児の父親となった事や、縁があり重度心身障碍児の支援に携わるなど子どもとの関わる時間が以前に比べて増えてきました。子育ては大変ですが楽しいと私は思っていますが、我妻は「ずっと子供といて自分の時間がない。いつまで我慢するのか」などと口にし、時には喧嘩になる事も。。。

 

重心の子どもたちの中にも、家庭環境に恵まれず親が子供を十分に世話しないなど嫌というほど見てきました。重心の子どもたちは、痰の吸引や胃ろうなどの処置がある事やてんかん発作を起こす子供が多く親の世話が欠かせない現実がある。

 

前述したように一部の親は子供の世話を十分に行わず指摘されると「この子のためにどこまで犠牲になればいいんですか?」と口にする人もいる。このセリフを聴くたびに世間でニュースとなる、パチンコ屋の駐車場で車内に子どもを置き去りにして遊戯を楽しむ親のニュースを思い出す。

 

親も人間、たしかに自分を犠牲にするのはつらい。でも当たり前だけど、子どもは一人では生きられない。ある程度の年齢になるまで自分を犠牲にするのはしょうがないのでは?もっと言えば、親は子供が自立するまでずっと犠牲になるのかもしれない。

 

赤ちゃんの頃は、ずっとそばにいて時間もお金も犠牲になる。小学校や中学校に入れば時間の犠牲は少なくなるが金銭的な犠牲は増える。高校大学は尚更に金銭的な犠牲を払い、稼ぐために親は時間をも犠牲にすることもあるだろう。

 

つまり、ずっと犠牲になるんだと思う

 

自由について言えば、その時期に合わせて自由の形を変え親は楽しむべきだと思う。

実際に、私はそれをしている。

 

それにもう二度とやってこない、1歳、2歳、3歳...とその時期は親として貴重な宝物の時間になるのでは?

 

犠牲=愛情とは思わないけれど、傍にいていつも大切にしてくれる親の愛は必ず子供を成長させる。

ある意味子育ては、種まきなのかもしれないなと思う最近。

 

親が子供に愛情という種を植え、時間をかけて育て、子どもが大人になったら花を咲かせ、子どもが親になったらその種を次の子供に植えるという循環ではないのかな?

 

その過程を 犠牲!と感じ、親の欲求を追求するのはさみしいなと感じてしまう。。。余裕のない親が増えた証拠なのかな?

 

犠牲を覚悟できずに苦しむくらいなら、子どもは作らない方がいいと思う。結局は子供がつらい思いをしてしまうのではないだろうか。