映画の機能


まず映画は個人によって作られるものではなく、集団的操作の産物であり、その製作には過大な費用を必要とするから、そこには集団的意志が反映する

また映画は入場料を払う多数の観客によって観覧されなければ企業的に成立しないから、その観客の集団の意志を反映する

すなわちそれら社会の産物であるといっていい

そして社会は、その社会生活を安全に確保し、また、それを望ましい方向に導くために、社会の成立要素たる各人の最大公約数的な意志を尊重しつつ、映画を希望の生活様式の具体的表現として利用し、映画が生得にもっている有効な報道の手段を発揮させる

この場合、映画が一定のネガから、多数のポジを焼きつけ、同じフィルムを最大多数の観客に見せるということは、社会生活を統一するうえに、ひじょうに効果あるものと考えられる

同時にまた、全体主義国家や独裁者が映画を統制し、一つの意思によって国民を希望の方向に向けるという弊害も生ずる

この意味で、映画は、それが多数生産される国ほど、制度に奉仕する役割を帯びているということができる

映画はそれゆえ、あくまでもデモクラティックな製作方法をとるべきであって、この両刃の武器を善用することは、社会の指導的立場にあるもののつねに注意を要する点である

映画はこんにち、民衆の娯楽の代表的観覧物となっているが、映画が報道であると同時に芸術でもあるということは、マス・コミュニケーションとして、最も有力である一つの根拠になっている

なぜならば映画のイメージは現実の姿であり、しかも同時に理想的な姿とも見られるからである

観客はそこに自分の理想型を見る

ここに映画の大きな社会的影響の原動力がある

映画のいい影響も悪い影響も、ともに重大な社会問題である

このためにある国では検閲制度をしいているし、また別の国では映画界が自主的な審査機関を設けている

営利会社が観衆の弱点をねらって、社会に悪影響を与えるような映画を作る場合には、これもやむをえないことである

また営利会社が製作をしないような記録映画・教育映画・学術映画は、官庁や団体がこれを作って営利的な劇場以外の場所で上映することも多い

これは非劇場映画として、社会がみずから普及させなければならない

現在は劇場映画を上映する機会が圧倒的に多いし、娯楽によるマス・コミの威力は十分利用すべきであるが、非劇場映画の任務をこのために忘れてはならない

劇場映画であると非劇場映画であるとを問わず、できあがった映画は、上映されて初めて映画として本当に生きるわけであるが、その製作中に、観客の意志や社会の意志が製作者の 企画を通じて作品そのものに反映することはいうまでもない

これが映画の内的生活である

完成された映画は、上映されることによって外的生活にはいる

この場合、映画が観客との協同作業によって、初めて映画としての機能を発揮することは、注目しなければならない

クローズ・アップやカット・バックが生きるためには、観客がそれらを総合しうる心理的操作の能力を必要とする

また観客のほうに、イメージに対処してそれを理解する知識や教養がなければならない

こういう点に関して、その映画に対する直接の批判活動なり、一般的な文化活動が有効な働きかけをするのである

そしてここに映画を中心とした生活的な一種のふんい気が醸成される

これが映画の外的生活である

このようにして、映画は社会生活の中に生きながら、その価値を決定され、これがつぎの映画製作の企画にまで大きな影響を与える

ここに再び映画の内的生活が始まる

この一回転は、つねに同一の出発点にはかえらず、時とともにつねに高い位置にすすむのが当然である

もちろん、映画は監督者によって統一的に作られるものであり、その監督者の独創はいうまでもないとしても、上記のような映画の社会生活は、むしろ映画製作の根本を決定するものであり、映画監督者もこの認識なしには有意義な芸術作品は作れないのである

(飯島 正)


