前記事についての感想をいただきました。
「五感で主人を感じることに、まだ抵抗がある…。」
「そこから嬉しいとか愛してるとか思えない…。」
「できる方が羨ましい。できない自分はまだまだなんだと思う。…」


そう思われた方も多いようですね。
表面の傷にはカサブタが出来かけていても、まだ身体の中の傷はドクドクと血を流して痛んでいるからですね。


五感で感じる、というのは
いいことだけを感じることじゃないと思います。

身体の感覚を大切にするというのは、動物の本能として、
なんかしらの違和感や警報をキャッチするための生死に関わる大事な機能。

でも、それすら曖昧になってしまった現代人は、まずは
辛い出来事から麻痺した感情を取り戻そうよ、

そのために、まず最初にやりやすい「嬉しさ」から感情を取り戻そうよ、ってことを伝えたかったの。

でないと本当に必要な時に
必要な感性が発揮できないんじゃないかな?  と危惧するわけです。


どうか
「羨ましい」=「できない私はダメ」
と結びつけないでほしい。
羨ましい、と感じた段階で、自分の中にそれがあるから思うこと。
到底自分には及ばない世界、と思ったら、羨ましいなんて気持ちは出てきません。

同じく「なんでこんなに頑張っているのに、私はできないんだろう」なんてありません。
桁外れの身体能力や頭脳を必要としていない限り
誰かにできることは誰にでもできることです。
今はまだその道半ばであるか、まだ気づいていない方向性があるだけ。


とはいえ、そんなこと、言われなくてもわかってるよね。f^_^;
わかっているけど、どよよんとなる時は「ま、湧いてくる思いは仕方ない」と受け止め、あんまり思考や理屈に結び付けない方がいいんじゃないかな?

旦那さんに対する愛がない、と自分で思っちゃう時もあるけど
愛でいっぱいの時もある。

だいたい、傷つき傷つけられた中でも、
よい関係を築こうと力を尽くす日々に愛がないわけないじゃん!

湧き出る思いは流れていくよ。
留めず蓋をせず、流していこう。
そうしていけば、爆発してぶちまけることもないよ。

そして、それでもいつも最後に残っているのが、
「本気」ってやつだと思います。