日本って相当昔からの文が残っている国じゃない。だって古事記とかだったら1500年くらい前のものでしょ、つーことはだ、オレのじいさんのそのまたじいさん、さらにそのまたじいさんのそのまたじいさん・・・ぐおーーーわかんねーよ、いったいどれだけさかのぼりゃすむんだよ!ともかくかなーり前からの血のつながりが延々と続いたからこそこうやってここで生きてるし、こうやって真夜中にパソコンのキーボードをぱちぱち打っているわけです。うーん、これは驚きだ。てなわけで少なくともオレが昔の文章を読んでいるつーことは平均30歳とかで死んでいったご先祖様がうまいこと生き残り、身ごもり、産んでくれて、さらに育ててくれた・・・つーのを繰り返してるからこうやって生きてるわけですな。産んでくれても育ててくれなかったら、つながりは絶えるわけだから。だからたぶん奥手ではなかったはず、結構手の早いスケベなご先祖だったはずだ。スケベ万歳!つーことかも。さらにいうならスケベなだけでなく、育ててくれるつーことはそれなりに愛情を注いでくれたわけだし、くわえるなら、そこそこリッチ?なわけだ。
そんなわけでどんな事を考えたり、感じたりしてたんだろう、まあ俺の先祖ではなく
一般的に。


おしなべて おもひし事のかずかずに 猶色まさる 秋のゆふぐれ

こんなの見つけた。藤原良経とかいうひとの歌。かれこれ800年前の歌
よくこんなの残ってるよな。とか思ったりして。

なんか今の俺らが使ってる言葉と微妙に違ったりするから和歌ってわかるような、わかんないような、ってのが多いけど、これはなんとなくわかる。ちょうど今の時期くらいかな。秋の夕暮れ。で夕暮れを見ながらいろいろ深く考えてる。でもそんな考えよりもはるかにまさっているのはこの夕暮れだぜ、見たいな感じ?

なかなか良くないか?マンガ書けるひと、つまりイメージを形にできる人は
これを絵にできたらすごいと思うけどなあ。
色々和歌を見てたら、場面設定の完璧なものもあるし、恋の歌もある。それがけっこう切ないのよ。でそれをマンガのテーマとか、小説の核にしたらすごいいいもんができるとおもうんだけどなぁ・・・オレのブログのテーマのなかに「アニメーター列伝(藁」ってのがあって、そのなかの「宮崎駿」のところで彼が何回も場面設定の大切さ、世界観の大切さ、を言ってる、って事を書いてるけど、和歌とかは場面設定、世界観が優れているものが多い、って事を発見した。しばらくはまりそう。