その後パンダコパンダという作品を作ります。元気な少女ミミ子といっしょに暮らすことになったパンダ、コパンダの生活を描くものです。日常生活の中に、パンダコパンダがはいったことで、生活にちょっとしたファンタジーが生まれた作品です。これはヒットしませんでしたが、子供の反応がよかったようで手ごたえを感じたようです。その後、アルプスの少女ハイジをつくります。日常の中にある魅力をアルプスというリアリティのある舞台で表現したものです。その後母を訪ねて、赤毛のアンと作ります。
80年にはテレコムに移籍、じゃりんこチエやセロ引きのゴーシュをつくりまし。これは75年、日本アニメーションに在籍していた頃から6年をかけて少しづつ作ったものです。宮沢賢治の原作の雰囲気をうまく伝えています。さらに蛍の墓、
おもひでぽろぽろとなります。
こうやってみると人の生活をしっかりと描いタ物が多いです。
続く・・・かな(藁
80年にはテレコムに移籍、じゃりんこチエやセロ引きのゴーシュをつくりまし。これは75年、日本アニメーションに在籍していた頃から6年をかけて少しづつ作ったものです。宮沢賢治の原作の雰囲気をうまく伝えています。さらに蛍の墓、
おもひでぽろぽろとなります。
こうやってみると人の生活をしっかりと描いタ物が多いです。
続く・・・かな(藁