その3の続きになりますがホルスは場面設定、つまりレイアウトを「驚くほど高い密度で」(大塚氏)出していきます。
「宮崎駿はアニメ製作にレイアウト(場面設定)の重要性を再認識させたアニメ作家である」と言われていますが、ちょうどホルスあたりからその芽が出てきたと思えます。

それまでは美術と作画と演出が連絡を取り合わないまま仕事をしていました。だから最終的に全部重ね合わせたらアンバランスになります。作品が出来ると「このきれいな背景画でこのざまぁないキャラクターが動くのか」というかんじでアンバランスが生じます。背景とセルを重ね合わせて初めて変だな、と気づく事になります。
どうすればそのアンバランスがなくなるか・・・。
そこでそれらの間の連絡をつなぐ役割が必要になります。場面構成、場面設定を一通りぜんぶやる。それをレイアウトといいますが、宮崎氏は「ルパンをこの表情で、この背景をバックにして、このアングルで」というレイアウトをどんどん描きます。だから2時間映画となると数百、数千のレイアウトを書かないといけないのですがそれをしないと作品がちぐはぐなものになってしまいます。今までばらばらにしていたことを、ひとりの人物がするわけです。だから世界観、表情、カット、品格はある程度一定がたもてるわけです。

たとえばハイジはカメラの時点はハイジたち子供の目の高さに置く事が多かったのですが、ちゃんとそのレイアウトを描いてこの場面はこの絵でこの背景と徹底させてないと、美術、作画がそれぞろ自分たちのセンスで作ってしまいます。一個一個はよくてもいざつなげるとアンバランスということもあるのです。ふつうの人間の目線の高さで描くのでハイジがおんじを見上げるからおんじのおおきいって感じも出るし、
部屋の天上がみえたりもします。多分自分たちが現実の生活で使うアングルだから安心して入り込めるかもしれません。
そこが虫プロの人たちと明らかに違う、独特の作品だと感じるところかもしれません。

一人でレイアウトをすればそこそこの作品が出来るのかというとそうでなく、やはりセンス、世界観の大小、ポイントの持って生き方など、圧倒的に「センス」の違いが現れるわけです。

「パンダコパンダ(1972年)のときに場面設定、場面構成(レイアウトと一通り全部やることにして、そのほうが画面を見たとき、自分の思うとおりになるとおもった」(2001年 天空の城ラピュタガイドブック復刻版)と言っています。

続く・・・かな(藁