東映動画時代の事を話している文章を読むと東映動画の内部はガチャガチャで会社と労働組合が対立していたようで仕事は満足のいくものでなかったようです。ちょうど大塚康夫氏と高畑勲氏が労働組合におり両氏と知り合うのはこの頃です。ただ、組合の話しよりも作品の作り方など、仕事の話をよくしていたようです。このころ「ガリバー」を作ったりしましたが動画担当なので演出家の言うとおりに作品を作るというだけで作品としても納得できないものだったようです。当時の東映動画は大事に仕事をしようというより、出来高払いだったので、一枚絵を描けば50円というようなシステムだから、動画の質はめちゃめちゃだったようです。「各話ごとにみんな顔は違うし、シーンによって顔は違うし」といっています。そういうことで満足できるような仕事が出来る環境ではなかったみたいです。理想はあるけど、それが実現できないという環境が続くということで「こんな会社燃えちまえ」などと口走っていたりしていたそうです(藁
その後、「太陽の王子ホルス」を作る事になります。高畑氏、大塚氏が参加するということで「そのとき自分が原画だとか動画だとかいう意識はぜんぜんなかった・・・・こんなのどうって、絵を描いて見せたりして・・・」といっています。
結局この作品は3年かかって完成しますが、このなかで宮崎氏の役割は自然と「画面構成」になっていきます。「その過程で仕事を覚えた」(アニメージュ56年7月号)ようです。
今でこそ「宮崎駿はアニメ製作にレイアウトの重要さを再認識させたアニメ作家である」といわれていますが、ホルスの仕事の過程で生まれたようです。
続く・・・かな(藁
その後、「太陽の王子ホルス」を作る事になります。高畑氏、大塚氏が参加するということで「そのとき自分が原画だとか動画だとかいう意識はぜんぜんなかった・・・・こんなのどうって、絵を描いて見せたりして・・・」といっています。
結局この作品は3年かかって完成しますが、このなかで宮崎氏の役割は自然と「画面構成」になっていきます。「その過程で仕事を覚えた」(アニメージュ56年7月号)ようです。
今でこそ「宮崎駿はアニメ製作にレイアウトの重要さを再認識させたアニメ作家である」といわれていますが、ホルスの仕事の過程で生まれたようです。
続く・・・かな(藁