宮崎氏は昭和16年生まれなので60を超えています。子供時代はひ弱だったようですが、兄貴が学校一番の暴れん坊だったためその庇護のもと育った感じだったようです。小学校の頃に好きだった漫画は「太平洋Xポイント」という手塚治虫氏のマンガだったそうです。内容は小さな時限爆弾で戦艦を沈めるという話し。宮崎氏はあまりクローズアップされませんが、兵器や武器が好きでかなり詳しいのですが子供のころにすでにそういう趣味が出来上がっていたと思います。高校入学後に漫画家になろうと思ったようで、それまではマンガを描いた事はなかったようです。
そして大学は学習院大学。この間マンガを投稿したのですが、大河漫画になってしまっていたようで「編集部も見る前に断わった」(アニメージュ56年8月号)
ようです。本人も「漫画家になろうと思ったのは高校の頃。でも人間が描けない。飛行機と軍艦ばかり描いていたから」と言っています。ちょうど今の映画も大河アニメなんでこの頃にはすでに素養ができていたようです。そして昭和38年、東映動画に入社します。先に紹介した、荒木氏、安彦氏、杉野氏は虫プロ入社ということ、さらに「街」や「影」などの漫画誌に投稿する漫画家出身というところが違うところです。(安彦氏は少し違う)先の3氏は作品の公表の場を見つけていたというところが違います。


続く・・・かな(藁