それから特徴として請ったアングルがあります。アングルは演出の移行が大半を占めるものだが、彼はそれ以上の効果を占めるアングルを提示します。「エースをねらえ」では作監として全部で8話担当していますが、いずれもアングルは俯瞰、あおり、アップなどさまざまなカットを使用しています。劇的なカットの積み重ねにより緊迫感を出していきます。たとえば明日のジョーの有名なシーンで、倒れているジョーを力石が上から見下ろしているというカットがあります。ポスターになったりもしていますが、あのしたからのアングルは杉野氏のものです。下からのアングルなので手前でアップの顔で倒れているジョーの絶望的表情とそれを見下ろす力石の圧倒的な存在感は、それ以外のアングルとカットでは表現できないものです。

杉野氏は昭和19年生まれなのですでに60を超えています。子供のころはあまり運動が得意でなく体も弱かったので体育の時間などは発熱したりするので運動は免除されていたようです。そしてその時間は図書館へ行き、手塚治虫や名作童話などを読んだようです。しかし図工の時間はたのしかったようです。また家でも部屋に閉じこもり
絵を描いたり本を読んだりしていたようで、孤独が好きな子供だったようです。

中学では美術部に入り友達も増えます。そして漫画家になろうと思ったようです。
オモシロブックに原稿を投稿したが返事はなくがっかりしたようです

高校時代は貸本の「街」や「影」に投稿していたようです。20ページの作品を月に4本投稿したりするなどかなりのペースです。こうやって数をこなすということが
デッサンの向上に役立ったでしょう。スポーツでもなんでもそうですが数をこなす。たくさん描く、というふうな努力をしている人が芽が出る可能性が高いです。
高校卒業は昭和36年、
この頃はちょうど虫プロがアニメを作り始めていた頃であけてもくれてもアニメーターの募集につぐ募集をしていた頃です。そこで漫画家の真崎守氏から手紙をもらい、「東京でアニメーターになってくれ」という手紙をもらいます。それが上京して、アニメーターになるきっかけでした。そのがは出崎統氏とコンビを組む事が多く、この二人で作品を作る事が多かったようです。
グランプリの鷹、家なき子、エースをねらえ、などは有名どころです・