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ショッピングの人類学

モノを買い、コトを楽しむ人間の生態を観察する、ショッピング人類学のブログ

「ショッピング人類学のお手本」で紹介した森井ユカさんの『スーパーマーケットマニア』には、個性的なヨーロッパの買い物トローリー(ショッピングカート)がいくつか登場する。

なかでも面白いのは、買い物メモホルダー付きのもの。
たしかに、カートに買い物メモをはさめるホルダーがあれば便利だ。
(といっても、実際にはメモにないものをいっぱい買うんだけど・・・)
それに、クーポンをはさんでおくのにも使える。

どういうわけか、日本では買い物クーポンの居場所がない。アメリカ人はクーポン好きと聞いているが、アマゾンには、写真のようなクーポン・オーガナイザーという商品があった。

こんなの日本でも売ればいいのに。
見つけた! ショッピング人類学のお手本を。

立体イラストレーターの森井ユカさんが書いた『スーパーマーケットマニア ヨーロッパ編』。


森井 ユカ
スーパーマーケット・マニア ~EUROPE編~
小型の変形版だが、中身はスーパーで買い込んだ雑貨でいっぱい。イギリス・ロンドン、フランス・パリ、スウェーデン・ストックホルム、ドイツ・ベルリンのスーパーマーケット、21店舗を観察し、面白い雑貨の数々を全編カラー写真で紹介している。


とにかく見ているだけで楽しい本だ。
ショッピング人類学のお手本にしよう。
「ヨーロッパ編」と書いてあるから、「アジア編」とか「アメリカ編」もでるのかどうかわからないが、乞うご期待。
「韓国編」なら私もなんとか書けそうだが・・・
ショッピング人類学のフィールドワークは、現場から学ぶしかない。
でも、どう学ぶかについては、ある程度のヒントが必要だ。
そんなときに役立つのが、ちょっとしたコツを凝縮したカード。

世界的に有名なデザイン・ファームIDEOは、創造するためのヒント集をmethodcardという51枚のカードにまとめている(ちなみに、この会社は、auのinfobarをデザインした深澤直人氏が、IDEOの日本オフィスを立ち上げたことでも有名だ)。


トム・ケリー,ジョナサン・リットマン
発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法

それぞれのカードにはきれいな写真が印刷されていて、それをながめるだけでも楽しい。カードの裏には、一日の出来事をリストアップしてみようとか、頭のなかにある事柄を地図に書き出してみようとか、具体的なインストラクションが書いてある。
カードに書かれていることを、ひとつずつ実践するだけでも、観察力や創造力が鍛えられる。

実は、同じような発想のカードが日本にもある。
それは、東京の世田谷まちづくりセンターが作った「みどりの活動おたすけ道具箱」だ。
もちろん、デザインの面では、IDEOにかなうはずはない。
しかし、住民参加のまちづくりやワークショップに役立つ視点を満載した、80枚のカードは、教育現場でも利用価値がある。

ここで紹介した市販のカードを使ってもいいし、自分なりの視点や気づいたことをカードにし、それを現場にもってくものよい。
カードが蓄積されていけば、何を観察すべきかという視点も明確になってくるだろう。
恥ずかしながら、東ハトのベストセラースナック「暴君ハバネロ」の姉妹品「暴君ベビネロ」、今頃になってはじめて手にした。

味は、いろんな方々が批評しているとおり。
辛さは「暴君ハバネロ」の5分の1、個人的には若干しつこい。
いや、そんなことをいいたいんじゃない。

東ハトさん、キャラクターの作りこみが甘いぞ!

専用ウェブ「暴君.jp」まで作ったはよかった。「ハバネロ」の幼少時代が「ベビネロ」というライフサイクル的なアプローチも面白い。
しかし、専用ウェブをみればわかるが、ハバネロの成長に麻辣仙人がからんでくるという安易な「世界」の作り方。甘~い!。もっと面白い「世界」=シチュエーションの作り方はできないのか?

【就トレ12】で、「ラテン系でいこう!」と叫んだ。

日本人が、本当にラテン系みたいに人生を楽しめるのだろうか?

手がかりとして、ちょっと比較文化論的に、言葉を比較してみよう。
kandoraさんがいうように、おとなりの韓国人は、自分たちを「東洋のイタリア人」だと思っている。彼らには、「ケンチャナヨ」(気にしない、大丈夫)という言葉がある。同じ意味の言葉は、中国では「馬馬虎虎」(マーマーフーフー)、タイでは「マイペンライ」。また、イスラーム圏では、「イン・シャー・アッラー」(神のおぼしめしのままに)という言葉がある。
いずれにしても、日常生活で壁にぶちあたったとき、つい口をついて出てくる「気にしない、気にしない」という意味の常套句である。
しかし、日本はどうか? あまりみあたらない。

たしかに、「明日があるさ」という言葉がある。でも、これは日本人の口から自然に出てくる言葉じゃない。失敗や困難に直面して、どこかふっきれない自分をなぐさめる、後ろ向きの言葉じゃないのか。

三流・四流の文化論をぶつつもりはないが、自然に口をついて出てくる「気にしない」「大丈夫」という言葉がある文化は、どこかに秘めたパワーがあるような気がする。

そういえば、「ココロにしみることば」とか「元気がわいてくることば」みたいな本がけっこう売れてる。これは、日本人が「ふっきれる」言葉をもちあわせていないからじゃないだろうか。
信じられないことだが、就活にお金をケチる学生がけっこういる。

エントリーシートの書き方、SPIのコツ、面接の受け方など、わからなかったら本を買えばいいじゃないか。
もちろん、役に立たない本もいっぱいあるが、本を買ってでも勉強しようという意志のほうが大事だ。
しかし、金がもったいないといって、自己投資しない人々がいる。
じゃ、キミは何に金を使うんだ!

話は変わるが、わが家では、夏と冬のボーナスは、小気味いいぐらいに消えていく。全部、人的投資だ。つまり、子どもや自分のための投資だ。
「お前はもうけてるからだろ」だって? そんなことはない。

もう小金をためるよりも、人に投資したほうが面白い人生になるって思えてきたからだ。なによりも、パートナーがそういう生き方だから、私にもそれが感染してきた。

就活だって、ほんの一時期だけ、ケチらずに自己投資することで、その先の展望が違ってくるはずだ。
本を買うだけじゃなくて、人に会いにいく、旅行にいく、セミナーに出てみる、などなど、いくらでも自分を高める方法はある。
そんなときにケチっていちゃだめだ。

ラテン系でいこう!
先日、来日中のアメリカの初年次教育政策研究センター所長のランディ・スウィング氏と食事をする機会があった。彼は、大学のプログラムに関する評価の権威である。

さて、お好み焼き屋でのこと。彼は、お好み焼きを器用に焼く従業員に感心するとともに、彼ら自身に関心をもちはじめた。
その理由はというと、さまざまな大学を訪れた際、彼は周辺のレストランで食事することがよくある。レストランのウエイターやウエイトレスは、だいたい大学生のアルバイトだ。そこで、彼らにそれとなく大学の事情を聞いてみるのだという。

つまり、大学のミステリーショッパー(覆面調査員)だ。
「ミステリーショッパーになろう」

「ショッピング人類学からみた大学」でもふれたように、これからの大学には小売りの感覚が重要だ。
私も、あちこちの大学にいったとき、ミステリーショッパーのようなことをするが、今後、大学のミステリーショッパーなんていうのも登場するかもしれない。
古代中国のことわざに、「弟子に心の準備ができたとき、ちょうど師匠がやってくる」というのがある。

この言葉、ジーン・シノダ・ボーレンの『タオ心理学』以来、ユング心理学の「共時性」(シンクロニシティ)をあらわすものとしてよく使われる。人間の心のなかで起こる出来事と外界で起こる出来事にあいだには、なんらかのつながりがあるという意味で、ユング心理学では、これを共時性=意味のある一致と呼んでいる。


ジーン・シノダ ボーレン
タオ―こころの道しるべ

しかし、この言葉は別にも解釈できる。
つまり、自分の殻に閉じこもるのではなく、他人の意見を受け入れられるような心の余裕ができたとき、いままでは全く気にもとめなかったことが重要に思えてきたり、あるいは、全く耳をかさなかった他人の話にも、理解できるところがあると思えてくる、そんな瞬間こそが、「師匠がやってくる」ことではないだろうか?

そう解釈すると、同じような名言は他にもみつかる。
たとえば、フランスの化学者・生物学者パスツールは、「偶然は準備のできない人を助けない」(=幸運は準備した心に訪れる)といっているし、アメリカの著述家カーネギーは、「幸運は毎日やってくる。だがこれを迎える準備が出来ていなければ、ほとんど見過ごしてしまう」ともいっている。

だから、感受性をみがき、自分を外に開いておくことが大切なのだ。
前に『トリビアの泉』をみた同僚が、こんなことをいってきた。

「『微妙な三角関係』って、韓国語でも『ビミョーナサンカクカンケイ』って発音するんですね!」

厳密にいえば、「ビミョーに」違うんだが、「ビミョーナサンカクカンケイ」と聞こえなくもない。これ、一般には、たしかにトリビアだ。しかし、韓国文化や韓国語について、少しだけ知っている人なら、それが不思議なことではなくなる。
なぜなら、むかし韓国では漢字を使っていた。しかし、ハングルが発明されると、いままで使っていた漢字の発音を、そのままハングルにかえて発音するようになった。ハングルは表音文字(音をそのままあらわす文字)なので、当然、漢字の発音は残ることになる。
だから、「微妙」や「三角関係」という漢字は、ほぼ近い発音をする。

こんなことは、韓国語学や韓国文化を研究する人々にとっては当たり前のことに違いない。しかし、一般人にとってはトリビアなのだ。それに、「微妙な三角関係」という響きが面白いだけに、トリビアっぽさがでてしまう。

というわけで、トリビアと呼ばれるものも、よく考えれば学問とトリビアはつながっている。学問の外側からみればトリビア、内側からみれば学問的知識のひとつ、というわけだ。
最近、「コンシェルジュ」という名前をよく聞くようになった。
コンシェルジュ(concierge)とは、もともとフランス語で守衛・門番・管理人などを意味するが、簡単にいうとホテルの「なんでも相談係」である。

ホテルでは、フロントの横あたりに座っているので、デパートの案内係のように思われてしまうが、その仕事は多岐にわたる。レストランの予約や航空券の手配からはじまって、お客様の要望には、ほぼ何でも答えなければならない。コンシェルジュの阿部佳さんは、「けっしてNOと言えない仕事」と表現している。
その具体的な仕事ぶりは、阿部さんの『わたしはコンシェルジュ』や、いしぜきひでゆき原作のコミック『コンシェルジュ』に描かれている。さらに詳しいガイドブックとしては、『究極のサービス』がある。

さて、コンシェルジュの仕事を別の角度からみると、自分の知識と知恵とネットワークを動員して、それぞれのお客様にあったサービスを提供するということになる。
そう考えると、コンシェルジュの仕事は、サービス業界の新しいモデルであるともいえる。
事実、コンシェルジュという名前のつく職業が、やたらとふえはじめている。

いずれにしても、自分の知識・知恵・ネットワークを利用してサービスを創造していくことができる人間、名づけて「コンシェルジュ型人間」が、いま求められている。