2006年10月20日(金)


今朝、新聞を読んでいたら皇后様、お誕生日の記事が出ていた。そういえば相方の御母さんが皇后様と同じ誕生日を誇示していた事を思い出し「今日はお母さんの誕生日だったね~・・・生きていれば77歳か・・・」と独り言のようにつぶやいたら、傍で身支度をしていた相方も感慨深げに頷いていた。

相方の御母さんは1992年(平成4年)の12月28日に癌でなくなった。63歳だった。

大腸癌から肝臓に転移して余命6ヶ月と宣告されて文字通り粗方6ヶ月で亡くなった。


結婚してから色々な葛藤や辛い事も沢山あった10年であったが、まさかそんな形で御母さんと別れる事になるとは夢にも思わなかった。

血便の不安を恥も外聞の無く私に見せた時の御母さんの顔・・・・初めて御母さんの弱さを見た時だった。

余命宣告されてからの6ヶ月は10年にも匹敵する、本当に辛い長い6ヶ月だった。全ての風景が一瞬にして変わってしまう・・・とよく云われるが、本当に全ての感覚が一変してしまうのである。

大腸の手術のために入院する朝、もう戻れない事を察していたように、私の手をとって涙した顔をまっすぐ見る事もできず、胸が押しつぶれそうになりながら必死で涙をこらえた。

何で?何でこんな事になるんだろう、私のこの10年は何のためだったんだろう・・・と信じられない事実を直視できなかった。

何だかんだ云っても、右も左も分からない我がままな私を、人として成長させてくれたのはやはり御母さんであったし、全ての面で指令塔であった人が居なくなって家族はどうなるのか・・・?不安は尽きないのだった。

それでも入院中の御母さんが、居ない中での野菜の出荷と、会社出勤前に病院に食の細くなっていく御母さんに好物を作って届ける毎日は、結構過酷ではあったが、このまま生きていて欲しいという思いのほうが大きくて、辛いと感じる余裕も無かったように思う。

どんどん弱っていく義母をみるのは本当に辛いものだった。

人が亡くなるという恐さを今まで何度も味わってきたが、今まで生きてきた中での人の死で、相方の御母さんが一番、堪えた。

結婚してから辛いと思うことばかりで我武者羅に自分の身体を酷使して、このまま壊れてしまえばいいと思ってきたのに・・・自分でなく、義母が亡くなってしまったのである。


月日が立てばたつほどその人の偉大さが身にしみてくるものである。

いろんな場面での御母さんの逸話は絶えない。

今考えるとかなり密度の濃い10年であったと思う。

教わった事を大事にしながらこれから生きていかなければならないのだと思ってる。


残されたものとして・・・・。

生かされる苦しみということもあるようにも思うが、とにかく家族のためにも、強く生きていかなければならないのだと・・・・。