部屋を移動しました
昨年の10月に同居していた母が亡くなってから5ケ月が経ちました。
無人になっていた1階の母の部屋を少しずつ片付け、先週の金曜日にPCを繋ぎ、今日から私の部屋は2階から1階に移動したのです。
母が使っていた家具に囲まれての生活です。
不思議な気分です、
移動のついでに本棚を整理していたら、偶然懐かしい本に巡り会いました。
ホント、巡り会うという表現がピッタリの再会です。
本のタイトルは「CMにチャンネルをあわせた日~杉山登志の時代」(PARCO出版)。
当時PARCOのCMで有名なアートディレクター石岡瑛子さん他が編集した本です。
昭和48年12月13日、37歳で自ら命を絶ったCMディレクター杉山登志。
前田美波里や秋川リサを使った一連の資生堂のCMが代表作ですが、その他にもキューピーやトヨタ自動車、モービル石油等々のCMで杉山カラーとも言われる繊細な映像を創りだした天才的なクリエイターです。
この人のテレビコマーシャルはとにかく美しかった。
一目見ただけで杉山登志の作品だと分ります。
彼のCFだけ他と色が違うのです。
日本天然色というCM制作会社で次から次へと評判のCMを創り出し、若くして同社の専務取締役に昇りつめたのですから、相当ハードな日常だったことが推察されます。
次元を超えたCMという印象を強く抱き、憧れというより、むしろ畏敬の念を持って彼の仕事を眺めていた
当時大学生のボクはコマーシャルの仕事をしたいと思い、広告代理店の就職試験を受けたのです。
しかし、外資系の広告代理店の最終面接の日にレコード会社の役員面接が重なり、結局はレコード会社を選んでしまったのですが、その頃読んで強い衝撃をうけたのがこの本です。
1973年12月26日の朝日新聞の記事を紹介します。
一人の男が、自ら命をたった。2週間ほど前のことだった。広告の世界、とりわけテレビCFの世界で「鬼才」
といわれた人だった。杉山登志という。37歳だった。今月13日の夕方。東京赤坂のマンションの自室で、遺体となって見つかった。机の上に、原稿用紙が1枚、さりげなく置いてあった。
リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
夢がないのに
夢をうることなどは・・・・・とても
嘘をついてもばれるものです。
その後、何年もの間語り継がれた有名な遺書です。
死体検視の淀橋書のお巡りさんがこう呟いたとこの本に記されています。
「この人は、実にみごとな、うまい死に方をした」
紐の長さといい、その使い方といい、死ぬためのセッティングが緻密に計算されていたそうです。
最期の瞬間まで演出していたのでしょうか。
とことん、自分自身に厳しく、自分を追い詰めたCMディレクター杉山登志。
最近こういう人物に出会うことが少なくなりました。
「鬼才」と呼ばれる人に出会うことが・・・・・・・・・・
もう一度この本を読み返してみようと思います。
追伸
つい最近、大型のコンペで勝利しました。
某通販会社のPCサイト構築とそれに伴う一連のインターネット広告に関する受注です。
ソリューションディレクターのF君とプロモーションディレクターのWさんが中心になって成し遂げてくれた仕事です。
ありがとう!
久々の美酒に酔いしれた週末でした。