第玖拾玖夜
仏壇
「仏壇をどうして家宝だと思うのか、その発想が理解できねえよ。宝ってのは、転売できる価値があるから、宝っていうんだろう」
唯一の遺品が仏壇だったことで、川原育夫は随分と腹を立てていた。
勘当されて三十年以上。
今は五十の坂も過ぎ、崩れかかった木造アパートの一室で一人暮らし。
ついぞ妻を娶ることもなく、遠い過去に夢も朽ち果てた。
それなのに定職にもつかず、漫然と月日を浪費しての今の暮らしだった。
「しかし、どうして俺の棲家を知ってやがったんだ、オヤジもオフクロも。知ってたんなら、死ぬ前に連絡くらいすりゃあよかったものをよ」
仮に連絡があったとしても、顔を見せに戻ったかどうかも怪しいものだった。
彼の生計を支えているのは、非合法に商売で、いついかなる時に警察の厄介になるかしれたものではなかった。
当然、本人は、
「俺はそんなへまは絶対にしない。今までも捕まっていないし、これからも捕まらない」
と高を括っていた。
古い古い仏壇は、見事に磨き上げられていた。
だが、それだけだ。
葬儀の間、親戚が若干出入りしたが、育夫とは口を利こうともしなかったし、納骨が終わったと同時に、誰ひとり近づいても来なかった。
田舎のことでみな近隣に住んでいるというのに、
「なんて薄情な奴らだ」
自らの不義理は棚に上げ、ひとしきり憤激する育夫だった。
「この家も税金の形にされているとはな」
生まれ住んだ家が、自分のものではなくなるという現実を目の当たりにして、ようやく親不孝者の育夫にも自省の念が僅かばかり芽生えたが、
「ま、くよくよしたって始まらねえ。どっちみち帰ってくるつもりなんかなかったんだ」
嫌がらせに、仏壇も放っておくつもりになっていた。
今のアパートなんか引き払ってしまって、住民票を異動させなければ、市の連中が仏壇を送りつけたくても、探しようがないだろう。
それを思うと腹の底から笑いが込み上げてきた。
「いずれにしろ、初七日くらいは家で後片付けをしてもいいなんてほざいていたな。仏心を出したつもりなんだろうが、精々その間に、宝さがしでもやらせてもらうぜ」
そこそこの広さがある古い建物である。
なにがしか出てきてもおかしくないはずだ。
育夫は下手くそな泥棒のように、床下から屋根裏、物置や押し入れ、納戸、ありとあらゆる場所の粗探しをはじめた。
だが、出てくるのはガラクタばかり。
「なんだ、この家は」
高価な骨董がないにしても、年代物のオモチャのひとつでも出てくれば、マニア向けの店で売り払って多少の金にでも代えられるはずなのに。
「なーんにもありゃしねえ!」
うんざりして座り込み、舞い上がった埃を吸いこんんでしまって咳き込んだとき、携帯がけたたましく鳴った。
「はい」
「おお、川原?」
声を聞いた途端、育夫はあぐらを正座に組み直して、
「と、友田さん、おつかれっす」
「遺産とか出たんか、川原」
「そ、それが、なんつーかその、親は文無しだったみたいで」
引き攣った笑いを浮かべる育夫に、
「おめえさ、穴埋めの件延び延びになってんの、わかってんだろーな」
うっと詰まったきり、育夫は固まった。
「手ぶらで帰ってきたらどーなるか、そのくらいはわかってるよな」
「い、いや、友田さん、その件は、もう少し待ってくれるって話に……」
「ふざけんじゃねーよっ!」
兄貴分の友田自身、更に上から追い詰められていて、育夫の金を当てにしているのだが、育夫にしてみればしくじった金の穴埋めなど、回収する当てなどない。
電話を切った後、蒼褪めた育夫は嵐の後のような座敷の真中にへたりこんで呆然としていた。
金を作っていかなかったらどんな目に合わせられることか。
下手をすれば、ぼこぼこにされた上に息の根を止められかねない。
それところか、生きたままコンクリート詰めにされて、海に沈められてしまうかもしれない。
「五十も過ぎて、そんな死に方はゴメンだぜ」
半分諦めた上で、一応仏壇の中も調べてみたが、結局金目のものやそれらしい書付なども見つけだすことはできなかった。
万事休すに陥った育夫は、
「こうなりゃ仕方ねえ。とんずらだ」
今さらまともな人生を送れるわけじゃない。
育夫は初七日もそこそこに大急ぎで自宅アパートに戻ると、手近な物品をすべて売り払って小金を作り、夜逃げ同然に町から出て行った。
「関東にいたんじゃ絶対に見つけられる。遠くに行くんだ」
捨ててきた実家は北国だ。
友田たちはきっとそっちを当たるだろう。
だとしたら、西だ。
西に逃げるしかない。
しかし、田舎だとすぐにバレてしまうような気がした。
「木を隠すなら森の中だ、都会で、よそ者がいてもあまり怪しまれない場所に逃げるのがいい」
関西ならそんな大きな都市がいくつもある。
育夫はアパートを借りず、ネカフェに寝泊まりして暮らした。
「なあに、一年かそこらしたら、あいつらも諦めるだろうし」
組織での立場は友田の方が上だが、年齢は十歳以上も年下だ。
育夫は彼を舐めていた。
数か月が過ぎた真冬のある日、育夫は日雇いのバイトから帰る途中、線路際の狭い道で異様なものを見た。
ゴミ置き場なのだが、時々無断廃棄であろう粗大ごみが置かれ、黄色の警告書が貼られている。
それは古びたソファであったりテレビであったり、冷蔵庫であったり。
マナーを守れない人間はどにでもいるもので、共同住宅の階段下に勝手にゴミを置く人間ですらいる。
それを横目で見ながら、金目のものを物色していた育夫の目にはいったもの。
「なんでこんなもんを。バチあたりな奴がいるもんだぜ」
仏壇であった。
過去の自分のしでかしたことは棚に挙げ、粗大ごみ置き場に無断で捨てたのであろう仏壇を目にして呆れ果てたのだった。
しかしここは彼の性格。
金目のものが中に入っていないか、一応確認してみずにはいられなかった。
扉を開いてみると、
「なんだか見覚えのある形だな。だけど、仏壇なんてみんな同じようなもんか。しかもなんだ、位牌まで入れっ放しじゃねえか。だらしねえ奴もいたもんだなあ」
薄笑いを浮かべ、位牌を取り出して裏を見てみた。
「う、うわわわわっ!」
黒光りする位牌を放り出した育夫の顔面は、幽霊にでも出くわしたかのように真っ青に血の気が退いた。
這う這うの体で逃げ出した育夫は、幾度も転びながら、一目散に駆けていった。
位牌の裏には、彼の親の名前が刻まれていたのである。
いつものネカフェに辿り着いた育夫の前に、
「ようやくお帰りか。待ってたぜ、川原」
複数の人影が立ちはだかった。
「と、友田さん……」
「俺たちから逃げられると、本気で思ってたか?川原よお」
「た、助けて、か、勘弁してください」
育夫は車に押し込められ、古ぼけたバッグのみ路上に残し、どこへともなく連れ去られた。
数日後、不法投棄のゴミを処理する職員が、仏壇を発見し、トラックに積み上げたところ、途中で落下し大破させてしまった。
「おいおい、ちゃんと縛っとかなあかんやん」
「やっときましたって」
ぶつくさ言いながらトラックの助手席から降りてきた職員は、仏壇のひびに目をやって腰を抜かした。
「どないしたんや」
と遅れてきた年配の職員も、いっしょになって驚いた。
仏壇の背板が弾け飛び、中に敷き詰められたものを目の当たりにしたからだ。
それは、金の延べ板だった。
仏壇
「仏壇をどうして家宝だと思うのか、その発想が理解できねえよ。宝ってのは、転売できる価値があるから、宝っていうんだろう」
唯一の遺品が仏壇だったことで、川原育夫は随分と腹を立てていた。
勘当されて三十年以上。
今は五十の坂も過ぎ、崩れかかった木造アパートの一室で一人暮らし。
ついぞ妻を娶ることもなく、遠い過去に夢も朽ち果てた。
それなのに定職にもつかず、漫然と月日を浪費しての今の暮らしだった。
「しかし、どうして俺の棲家を知ってやがったんだ、オヤジもオフクロも。知ってたんなら、死ぬ前に連絡くらいすりゃあよかったものをよ」
仮に連絡があったとしても、顔を見せに戻ったかどうかも怪しいものだった。
彼の生計を支えているのは、非合法に商売で、いついかなる時に警察の厄介になるかしれたものではなかった。
当然、本人は、
「俺はそんなへまは絶対にしない。今までも捕まっていないし、これからも捕まらない」
と高を括っていた。
古い古い仏壇は、見事に磨き上げられていた。
だが、それだけだ。
葬儀の間、親戚が若干出入りしたが、育夫とは口を利こうともしなかったし、納骨が終わったと同時に、誰ひとり近づいても来なかった。
田舎のことでみな近隣に住んでいるというのに、
「なんて薄情な奴らだ」
自らの不義理は棚に上げ、ひとしきり憤激する育夫だった。
「この家も税金の形にされているとはな」
生まれ住んだ家が、自分のものではなくなるという現実を目の当たりにして、ようやく親不孝者の育夫にも自省の念が僅かばかり芽生えたが、
「ま、くよくよしたって始まらねえ。どっちみち帰ってくるつもりなんかなかったんだ」
嫌がらせに、仏壇も放っておくつもりになっていた。
今のアパートなんか引き払ってしまって、住民票を異動させなければ、市の連中が仏壇を送りつけたくても、探しようがないだろう。
それを思うと腹の底から笑いが込み上げてきた。
「いずれにしろ、初七日くらいは家で後片付けをしてもいいなんてほざいていたな。仏心を出したつもりなんだろうが、精々その間に、宝さがしでもやらせてもらうぜ」
そこそこの広さがある古い建物である。
なにがしか出てきてもおかしくないはずだ。
育夫は下手くそな泥棒のように、床下から屋根裏、物置や押し入れ、納戸、ありとあらゆる場所の粗探しをはじめた。
だが、出てくるのはガラクタばかり。
「なんだ、この家は」
高価な骨董がないにしても、年代物のオモチャのひとつでも出てくれば、マニア向けの店で売り払って多少の金にでも代えられるはずなのに。
「なーんにもありゃしねえ!」
うんざりして座り込み、舞い上がった埃を吸いこんんでしまって咳き込んだとき、携帯がけたたましく鳴った。
「はい」
「おお、川原?」
声を聞いた途端、育夫はあぐらを正座に組み直して、
「と、友田さん、おつかれっす」
「遺産とか出たんか、川原」
「そ、それが、なんつーかその、親は文無しだったみたいで」
引き攣った笑いを浮かべる育夫に、
「おめえさ、穴埋めの件延び延びになってんの、わかってんだろーな」
うっと詰まったきり、育夫は固まった。
「手ぶらで帰ってきたらどーなるか、そのくらいはわかってるよな」
「い、いや、友田さん、その件は、もう少し待ってくれるって話に……」
「ふざけんじゃねーよっ!」
兄貴分の友田自身、更に上から追い詰められていて、育夫の金を当てにしているのだが、育夫にしてみればしくじった金の穴埋めなど、回収する当てなどない。
電話を切った後、蒼褪めた育夫は嵐の後のような座敷の真中にへたりこんで呆然としていた。
金を作っていかなかったらどんな目に合わせられることか。
下手をすれば、ぼこぼこにされた上に息の根を止められかねない。
それところか、生きたままコンクリート詰めにされて、海に沈められてしまうかもしれない。
「五十も過ぎて、そんな死に方はゴメンだぜ」
半分諦めた上で、一応仏壇の中も調べてみたが、結局金目のものやそれらしい書付なども見つけだすことはできなかった。
万事休すに陥った育夫は、
「こうなりゃ仕方ねえ。とんずらだ」
今さらまともな人生を送れるわけじゃない。
育夫は初七日もそこそこに大急ぎで自宅アパートに戻ると、手近な物品をすべて売り払って小金を作り、夜逃げ同然に町から出て行った。
「関東にいたんじゃ絶対に見つけられる。遠くに行くんだ」
捨ててきた実家は北国だ。
友田たちはきっとそっちを当たるだろう。
だとしたら、西だ。
西に逃げるしかない。
しかし、田舎だとすぐにバレてしまうような気がした。
「木を隠すなら森の中だ、都会で、よそ者がいてもあまり怪しまれない場所に逃げるのがいい」
関西ならそんな大きな都市がいくつもある。
育夫はアパートを借りず、ネカフェに寝泊まりして暮らした。
「なあに、一年かそこらしたら、あいつらも諦めるだろうし」
組織での立場は友田の方が上だが、年齢は十歳以上も年下だ。
育夫は彼を舐めていた。
数か月が過ぎた真冬のある日、育夫は日雇いのバイトから帰る途中、線路際の狭い道で異様なものを見た。
ゴミ置き場なのだが、時々無断廃棄であろう粗大ごみが置かれ、黄色の警告書が貼られている。
それは古びたソファであったりテレビであったり、冷蔵庫であったり。
マナーを守れない人間はどにでもいるもので、共同住宅の階段下に勝手にゴミを置く人間ですらいる。
それを横目で見ながら、金目のものを物色していた育夫の目にはいったもの。
「なんでこんなもんを。バチあたりな奴がいるもんだぜ」
仏壇であった。
過去の自分のしでかしたことは棚に挙げ、粗大ごみ置き場に無断で捨てたのであろう仏壇を目にして呆れ果てたのだった。
しかしここは彼の性格。
金目のものが中に入っていないか、一応確認してみずにはいられなかった。
扉を開いてみると、
「なんだか見覚えのある形だな。だけど、仏壇なんてみんな同じようなもんか。しかもなんだ、位牌まで入れっ放しじゃねえか。だらしねえ奴もいたもんだなあ」
薄笑いを浮かべ、位牌を取り出して裏を見てみた。
「う、うわわわわっ!」
黒光りする位牌を放り出した育夫の顔面は、幽霊にでも出くわしたかのように真っ青に血の気が退いた。
這う這うの体で逃げ出した育夫は、幾度も転びながら、一目散に駆けていった。
位牌の裏には、彼の親の名前が刻まれていたのである。
いつものネカフェに辿り着いた育夫の前に、
「ようやくお帰りか。待ってたぜ、川原」
複数の人影が立ちはだかった。
「と、友田さん……」
「俺たちから逃げられると、本気で思ってたか?川原よお」
「た、助けて、か、勘弁してください」
育夫は車に押し込められ、古ぼけたバッグのみ路上に残し、どこへともなく連れ去られた。
数日後、不法投棄のゴミを処理する職員が、仏壇を発見し、トラックに積み上げたところ、途中で落下し大破させてしまった。
「おいおい、ちゃんと縛っとかなあかんやん」
「やっときましたって」
ぶつくさ言いながらトラックの助手席から降りてきた職員は、仏壇のひびに目をやって腰を抜かした。
「どないしたんや」
と遅れてきた年配の職員も、いっしょになって驚いた。
仏壇の背板が弾け飛び、中に敷き詰められたものを目の当たりにしたからだ。
それは、金の延べ板だった。