第漆拾肆夜
  
  リドル法
  
  リドルストーリーというものがある。
  結末を読者に考えさせるという、どこか読み手にとってはむず痒くなるような手法の表現方法で、中でも最も有名な『女か虎か』という古典的作品に関しては、現代でもどちらかを議論するマニアのクラブがあるくらいだ。
  
「リドル法?なんだそれ」
  巷で噂になっている奇妙な法律。
  今国会に審議のために提出されたもので、正式には『犯罪審議特例法』という。
  どういった場合に適用されるかというと、犯罪として認定されず刑事罰を受けることはないが、明らかに悪意があると判断されたり、もしくは今までせいぜい罰金程度で済まされ、二次被害三次被害などが出ていた一見軽微な犯罪を、
「本当に許していいのかどうか」
  一般市民の代表に判断させるというものだ。
  例えば、詐欺すれすれで老人に高額な買い物をさせる訪問販売業者。
  違法ではないが、法律すれすれの取立てを行う一般の金融会社。
  荒っぽい運転のバスやタクシーのドライバー。
  ほかにも、近所の迷惑を顧みない騒がしい家族や、平気でごみを捨てるが、逮捕とまではいかないケースや、違法駐車、挙句の果てには水の溜まった道路の泥はねなどにいたるまで。
  最も多いのは、暴力を含まないイジメや会社などで行われるパワハラ、セクハラなどのうち、刑事事件にするだけの証拠や資料がないにしても、明らかに悪意があると思われるケース。
  また、満員電車内で偽装痴漢行為などで嫌がらせをする女性なども、その対象となる。
  しかし、これは訴えられた側にも逃れる道を残す法律でもある。
  被告はふたつの封筒の選択権がある。
  もしその中身が無罪であれば、なんら罪に問われることはない。
  しかし万が一封筒の中身が有罪であれば、市民たちの考えた、それ相応と判断される罪状に基づいた懲役や刑罰が科せられることとなる。
  その性質から、通称『リドル法』と呼ばれているのだった。
「そんなふざけた法律、国会で通るわけないじゃない」
  大方の人々はそう笑い飛ばした法案。
  意外にも絶対的多数で衆議院を通過した。
  そして参議院でも賛成多数。
  新内閣で大抜擢された法務大臣が、この法案にかける意気込みには並々ならぬものがあったのだ。
  なにしろ事務次官が、
「大臣、この法案は今国会の目玉であるだけでなく、混沌として秩序を失いつつある市民の生活に一石を投じることとなります。犯罪の増加がどれほど深刻化しているかは、大臣もよくご存知でしょう」
  もしこの法案が成立したら、
「時期総理の座も、決して夢ではありません!」
  押し殺した声ではあったが、そう断言されては、法務大臣も真剣にならざるを得なかったのである。
  
『リドル法』の実施は、家庭裁判所や簡易裁判所でも簡単に行われるうえに、殆どが傍聴可能だったので、人気の裁判となった。
  訴えられるのは、なにしろ些細なことでも認められるので、場合によってはゲーム的な要素まで感じられる。
  地方自治体、市町村のクジにもなった。
  新しい裁判が行われるたびに、
「被告がどっちの封筒を引き当てるか」
  を予測するクジを買うのだ。
  一口100円から。
  何十人、何百人購入しても、上限配当は一万円と決められていたので、無謀に購入する者はいない。
  軽いゲームで賭博性は低かったのだ。
  ただし、時々全国的に問題視される大きなリドル裁判も行われた。
  その時は配当が百万円まで拡大し、全国の裁判クジ売り場で発売されるので大人気だった。
  
「今年三度目となりました、BIGリドル裁判。今回からテレビ中継が解禁されました」
  日本の裁判はテレビ中継は愚か、録画録音すらも一切禁止だったのだが、特例法の実施から半年、あまりの人気にエンターテイメント性を認識した法曹界と政府は、リドル裁判にのみ、テレビ中継を許可する決定を下したのだった。
  ちなみに、リドル法には弁護士はつかない。
  被告は、弁護されてもされなくても、どちらかの封筒を選ばなくてはならないのだから、弁護士の存在は不要なのだった。
  
「今日の被告は、皆さんご存知の中井戸浩介さんです!」
  国民的アイドルであり、ベテランタレントの中井戸にかけられた罪状は、複数の女性と関係を持ち、その殆どに妊娠中絶を強要したというもの。
  バックのプロダクションの圧力もあり、今まで数多の女性が泣き寝入りしてきたのだが、リドル法によって女性たちに復讐の機会が与えられたのだった。
  被告に弁明の機会はない。
  罪状が裁判官の口から朗々と読み上げられた次には、ふたつの封筒のいずれかを手にし、中身を判事や書記官、事務官、そして傍聴人に見せなくてはならない。
  今回からはテレビカメラも入ったので、レンズは被告の顔と手元を克明に映している。
  封の中身を読んだ中井戸の顔が、見る見るうちに青黒く変色していった。
  憤怒と無念で、次に真っ赤になり、
「嘘だーっ、ふざけんなあ!」
  勧告書を丸めて投げ捨てようとしたところを、警備員たちに取り押さえられた。
  無理やり書面が公開される。
  新宿アルタなど大画面のある場所では、大勢の人だかりから大歓声が上がり、東京全体がどよめいたかのようだった。
  書かれていた文字は、有罪。
  刑罰の種類は、全裸晒し者一ヶ月間となっている。
  温度、湿度の保たれたアクリル製の透明な箱に入れられ、都内各所で一ヶ月間晒し者にされるという、従来にはなかった刑罰を与えられることとなった中井戸は、半狂乱に陥って法廷から連れ出された。
  
  数万人の百万円獲得者が出現し、またもやリドル裁判の人気は加熱。
「早く次のBIGリドルないかなあ」
  と国民は心待ちにするのだ。
  
  この特例法成立に尽力した功績で、党内での実力を示し、勢力を拡大しつつある大臣は得意の絶頂だ。
「イケる、これならイケるぞ、次期総裁選は!」
  頬を紅潮させ握り拳を震わせる大臣。
  快進撃の真っ只中にある大臣に、ある朝裁判所からの呼び出し状が届いた。
『リドル裁判呼び出し状』
  と記載された封筒の中身は、
「元愛人への手切れ金未払いに関する罪、及び後援会事務員女性に対するセクハラの罪」
  と記され、
「おめでとうございます。四度目のBIGリドルに選ばれました」
  と追伸が入っていた。