第伍十壱夜

蛇の夢 あるいは「狩るか狩られるか」

空腹の時は中々寝付かれない。
どんなに腹減った状況に慣れたとしてもだ。
それでもようやくうとうとし始めたというのに、
「おい、おい京一、起きろよ、起きろ!」
洋介の奴なにをとち狂ったんだか素っ頓狂な声を上げて俺を叩き起こしやがった。
「なんだよ、人が折角寝ようとしていたってのによっ」
俺は本気で怒った顔をしてみせた。どうせ通用しない相手ではあるが。
「なあ、京一。俺さ、今夢見たんだ。すげえ縁起のいい夢」
バカかこいつは。
「夢なんかで他人を叩き起こすんじゃねえっ、ガキじゃあるまいし!」
俺はもう一度毛布で体を包んで、ゴロンと奴に背中を向けた。
「なあなあ、聞いてくれよ、ホントにすげえ夢だったんだってば」
俺たちはホームレスになりたての若造だ。
マン喫に泊まる金もなくなって野に出た。
最初は都心のビルの片隅で身を寄せ合っていたけど、そこから排除された。
ふたりで寝泊りできる場所を探していたところ、いい場所を見つけた。
下町だ。
隅田川を越えただけでこんなにも違うものか。まさかの空き家を見つけたのだ。
「でもさ、管理してる不動産屋がいるぜ、きっと」
「なあに、バレるまででいいんだ。入っちまおうぜ」
あばら家だが十分雨露は凌げる。
無断で入って三日目だが、誰かが様子を見に来たこともない。都会のブラックホールだった。
「なあ、蛇の夢は金運がいいっていうじゃないか」
「しらねえ、聞いたこともねうや、バカバカしい」
「ホントにいうんだよ。俺、死んだばあちゃんから聞いたことあるもん」
実に下らないことをいう。
そんなことだからこんな貧乏になっちまうんだ。
俺も人のことは言えないけれど。
「でさ、さっき見た夢ってのがさ、でっけえ蛇が出てきてさ」
俺は蛇が嫌いだ。ちっちゃくても怖いくらいだ。それなのにデカい蛇の話なんか、夢でも聞きたくない。
「その蛇が、なんと金色だったんだわ、金色!黄金の蛇がこんな風に」
と洋介が手を蛇みたいにくねらせ、
「俺においでおいでするんだよ。きっと奴は金の番人なんだぜ。そして貧乏暮らしの俺たちを可哀想に思って夢枕に立ったんだ」
どんだけ自分に都合のいい解釈をする男なんだ。
そんな上手い話がこの世のどこにあるってのか。
「へえ、じゃあその蛇連れてきてくれ。黄金の大蛇をさ。本当にそんなのがいたら、きっと動物園が高く買ってくれるだろうよ」
「そうだろ、そう思うだろ?もし金貨を持ってなくても高値で売れるよなあ」
と嬉しそうに笑う洋介に俺は益々イラッとした。
「そんな蛇いるもんか、バカバカしい」
俺は背中を向けたまま毒づいた。下らない話に付き合って腹が立ったせいか、余計に空腹が増し、怒りを通り越して悲しくなりかけつその時だった。
「京一、いる、みてえだぜ……」
「はあ?」
洋介が、壁が打ち抜かれて広くなった部屋の向こう側の片隅を指差している。その先を俺は追った……。
「うっ!?」
そ、そんなまさか、いや、嘘だ。
ありえねえ!
あるわけがねえっ!

「へ、へび……」
そのとぐろの幅は、神社のご神木の幹ほどもあった。
胴体は人間の太股くらいもあるのか。
あまりにも巨大すぎて、すぐそこにいるのに、別の次元の「なにか」のようにしか思えなかった。
ただ巨大なだけではない。それは神々しいまでに光輝いていた。
「ほら、ほらほらっ」
感極まって洋介が踊っている。
「いたんだよ、いたんだよいたんだよっ!黄金の蛇!リッチの使い!俺たちの救い主!さよなら貧乏っ」
蛇は鎌首をもたげ、じっとこっちを見ているのだ。
「救いの神さま~!」
「待て、洋介っ!」
洋介は諸手を広げて巨大な蛇に向かって突進していった。

青大将という翡翠色の蛇は日本の固有種で、アルビノが生まれると全身が黄色味がかって光の加減では金色に見えることがある。
いにしえの人々はそれれを見て神の使いと信じ神社に奉納することもあった。
縁起がいいとされたのは珍しかったからだ。
だが、今洋介が突進し向かっている蛇は、そういう類のものではなかった。
怒っている。
蛇が怒っている。
鎌首がベロリと大きくうちわ型に広がり、
くわっ!
と口が大きく開いた。
ずらりと並んだ棘とげの歯。
その中に際立った巨大な二本の牙。
それは狂気に満ちた殺戮者の持ち物以外のなにものでもなかった。
「止まれ洋介っ!」
しかし遅かった。
洋介は喉笛を食い千切られ……。

「俺ってさあ、生まれてから今までいいことなんかなんにもなかったんだよね。でもさあ、京一さあ、死ぬまでに一度くらいはいいことあるよね、きっと」
そう信じていた単細胞の洋介は、今わの際にひとことも言い残すこともできず、夢に出てきた縁起のいい蛇に屠られた。
(次は俺の番だ)
と覚悟したが、蛇は洋介の首の柔らかい肉を貪り食って満足したのか、巨躯をくねらせながら家を出て姿を眩ませた。
「あれは、アルビノのコブラだ。きっとそうだ」
そいつがどうしてこんな場所にいたのかは分からない。
違法行為、不正に入手して飼育していた奴が、面倒見切れなくなって捨てたのだろうか。いずれにしろ、俺は運が向いてきた。
洋介の遺骸を放り出したのは、いずれ警察が発見してその死の異常さに気付いて貰うためだ。
きっと巨大な生物によって殺害されたと気付くだろう。
その巨大生物を捕らえて、俺はヒーローになる。これは賭けなのだ。
いずれにしろ、もう諦めた人生だ。一発逆転となるか、それとも俺があの蛇の餌食になるか。
「狩るか狩られるかだ」
それにしても洋介の見た夢はいったい誰のための、なにを暗示した夢だったのだろうか。
東京は縦横無尽に走る地下水路のメッカだ。
コブラにとっては寿命の尽きるまで暮らせる餌の宝庫、どぶねずみは無限にいる。
「だが、そこで働く人間も大勢いる」
やはり、洋介の夢は俺のためのものなのだと信じることにして、俺は手近な排水溝から地下に降りていった。
この深い闇の向こうにあの蛇がいるかと思うと、大の苦手なはずなのに、なぜか背中がゾクゾクし始めた。