第肆拾弐夜

肝験しの夜

「だから、俺はいきたくないんだって」
嫌がる松山を無理やり肝験しに連れてきたのは島村だった。
曇り空で月も星もなかったその夜、松山は倒れてきた墓石で頭を強打し、帰らぬ人となったのだ。
一年前のことである。

「お前さあ、本当に人の嫌がることばかりするよな」
今年も肝験しをやろうと言い出した島村に、伊藤は吐き捨てるようにいった。
「今年は誰も参加しないしさせない。やりたかったらお前の取り巻きたちだけとやれよ」
電話を切ろうとした伊藤に、
「おい、いいのかよ、そんな態度でよ」
島村が凄んだ。
「なにがだ」
うんざりしたような口調で伊藤が問い返すと、
「お前の会社、うちの子会社だってこと、分かってるはずだよなあ」
島村の父親が強引に買収したのだる
欲しいものはどんな手を使っても手に入れる男。
親子そっくりだった。
「それによお」
と島村は含み笑いし、
「理恵とお前が付き合えたんだって、あいつが死んだからじゃないか。災い転じて福となる。そうだろ?」
伊藤のこめかみがガッと熱く滾った。
「お前、そういう言い方……」
島村は聞く耳を持たず、
「あの晩のこと、理恵に喋られたくなかったら、絶対来いよな。じゃあな、待ってるからよ。あ、そうだ。理恵も必ず連れて来いよ」
嘲笑を伊藤の耳に残して島村の電話は切れた。
「悪党……」
歯噛みし目を血走らせた伊藤は、握り締めた拳のやり場を失い虚空を睨んだ。

日暮れが迫り来る。
車に向かった伊藤の後を理恵が追ってきた。
「こんな時間にどこに行くつもりなの?今夜はいっしょにいてくれるっていったじゃない」
今夜は、松山の命日なのだ。
恋人を失って意気消沈し一時は死をも考えた理恵に寄り添い救ったのは伊藤にほかならない。
だが、まだふたりは恋人未満の関係で、せめて一周忌が過ぎるまでは待って欲しいというのが理恵の思い。
それを理解して伊藤は待っていたのだ。
だが、今夜の島村の誘いに乗らなければ、一年前の夜に……。
「理恵、いっしょにきてくれないか」
「わたしはイヤよ。絶対にどこにもいかない。約束したでしょ、今夜、一周忌の夜はいっしょに彼の……」
伊藤は下唇を噛みしめた。


「遅かったじゃねえか、伊藤。あれ?理恵はどうした?」
「今夜は松山の命日なんだぞ。彼女が来るわけがない」
伊藤の声はか細く新月の夜闇に消え入りそうだ。
島村はチッと舌打ちし、
「それじゃ意味がないんだよなあ。てめえ、ぬけぬけと理恵に手を出しやがって。俺のものにするのにわざわざ松山をはめたってのによ。横からかっさらいやがって。しかも伊藤、オメエ奴を呼び出すのに俺に手を貸したってこと、忘れたわけじゃねえだろうな」
伊藤は答えず、顎をしゃくった。
「さっさと行こうってわけか」
墓地の奥、彼等が肝験しと称して危険なゲームを行う場所だ。
どんな手を使ってもいい。恐怖に陥れ合うゲーム。
誰かが大怪我をしたり何か間違いが起こるまで続けられる。
そして墓地の最奥部に賞金が置かれている。それを昨年ゲットしたのは、
「お前だったからな、伊藤。今年はディフェンディングチャンピオンってわけだ。今年の賞金は倍だぞ。一千万に増やしといた。だが今年はお前、集中攻撃されるぞ。覚悟しとけよ」
蛇が立てる音のような掠れた声の島村に伊藤は答えない。無言で墓地の奥部に入っていく。
「よしスタートだ」
トランシーバーの先には、島村が配した連中がいる。彼らは今年の獲物、伊藤を待ち構えている。彼を屠った後、賞金の争奪戦を繰り広げるのだ。
彼らにとって残念だったのは、副賞である理恵が来ていなかったことだが、伊藤を始末した後どうにでもなるという打算があった。


あちこちで悲鳴や呻き声が上がった。
トランシーバーの先で次々と連絡が途絶えていく。
「伊藤の奴、やるじゃないか」
島村の顔から余裕が消えた。
遂に誰もトランシーバーに応答しなくなった。
「ヤバい」
冷たい汗にまみれ、島村は懐中電灯の灯りを頼りに奥に向かった。
「去年も出し抜かれたんだ、あいつに賞金を渡してたまるか」
二度も失敗するなど、決してあってはならないことだ。この日のためにどれだけ金をかき集めたことか。
「どいつもこいつも役立たずどもばかりだっ。いったい伊藤ひとりになにをしてやがるっ」
自分ひとり高みの見物を決め込むつもりだっただけに、島村の苛立ちは頂点に達していた。
「あった、ふう、まだ取られてなかったか」
喜色を浮かべ、島村は隠し場所の黒いバッグを開けた。
勝ち残った者が手に入れられる札束は、まだ入ったままだった。
「ゲームなんかどうでもいい。こいつを持ってとんずらだ」
ここで起こったことなど、知らぬ存ぜぬで通せば、警察ごとき父親がなんとかしてくれる。
今までもそうやってきたのだ。
「どこへ行くつもりだ島村。ゲームはどうなった、肝験しゲームは?」
背後から声をかけられ、島村は立ち竦んだ。
「い、伊藤、生きていたのか、た、大したもんだな、あれだけの人数相手によ」
すると、闇の向こうから低くくぐもった笑いが漂ってきた。
「誰が伊藤だって?あいつは今夜、理恵といっしょに一周忌の法会の最中だ」
急速に口中が渇く。では、今目の前にいるのは、
「誰だ、てめえ……」
掠れて声にならない。
「下らねえゲームのために平気で人殺しとはな。てめえの父親の権力って奴は、田舎じゃあテキメンに効くもんなあ。バカな町の奴らはみんな見て見ぬ振りだし、島村一族の取り巻きは地回りのヤクザだからやりたい放題だ」
低い含み笑いに、聞き覚えがあった。が、
「そんなわけない、そんなわけないよな。死んだんだ。去年ねここで死んだんだから」
呻きながら島村は瘧にかかったかのように全身を震わせ冷たい汗を滴らせた。
足が竦んで動けない。
「だ、誰だ、誰なんだ、てめえ」
「もう分かってるはずだぜ。闇の中で、顔を見せられないのが残念だ」
恐怖の臨界を超えた島村が絶叫し逃げ出そうとした刹那!
落雷が宙空を引き裂き島村に襲い掛かった。
意識が消し飛ぶ一瞬前、稲妻の煌めきに、目前に浮かび上がったのは、頭から血を浴び凄絶な笑みを浮かべた松山の顔だった。

翌朝、法会を済ませた理恵を自宅まで送り届けた伊藤は、彼女の自宅の玄関先に置かれた黒いバッグを開けて慄然とした。
ぎっしりと詰め込まれた札束。
ふたりは顔を見合わせ息を詰めた。