第弐拾漆夜

若者は笑みを残し

奇妙な男に誘われるまま、沼田は小さな映画館に入った。
「近頃廃れてきた、ミニシアターって奴ですか?説教くさい文芸作品なんか、見たくないんだけどな」
「黙って席につけ」
せっかくの休日、やりたいことはほかにあったというのに、男の醸し出す妙な威圧感に抗えなかった。
真っ暗だ。やがてスクリーンが、
ぼやぁっ
と明るくなった。
見慣れた光景が目に入った。
「なんだこれは、お、俺じゃないか」
会社にいる沼田自身が映っている。
「黙って見てろ」
(隠し撮りでもされていたのか?)
と疑念を抱いた沼田だったが、
(どうも違う?)
しばらく見ているうちに、沼田は恐るべきことに気がついた。
(これは、俺の未来なのか?)
スクリーンの中の沼田は、結婚し、一子をもうける。
しかし、その子は長じて道を誤った。その原因になるのが、彼の上司の息子。
沼田の息子は、上司の息子から奴隷のように扱われた挙句、犯罪者への道を歩かされ、両親である沼田とその妻をも手にかける。
総計四人の命を奪い、三十歳にも満たない若さで、絞首台の露と消える。
(こ、こんな人生なんて、あるものか……)
あんまりだ、と見ているうちに沼田は、絶望感に襲われた。
「おいこれ、どうやって作ったんだ?まさか、これが俺の未来だとでもいうんじゃないだろうな」
沼田は隣に座った男を睨みつけながら、そう訊ねた。すると、
「察しがいいじゃないか。そう、まさしく今まで見た映像は、今後お前の身に降りかかる、運命の映像だ。どうだ、お前の女房になる女は、中々の美形だったろう?スタイルもいいし、お前には勿体無いくらいだ。だが、残念ながら二十数年後には自分の生んだ子供にぶっ殺される。気の毒な話じゃないか」
と男は哂った。
「勿論、お前も死んでしまうんだがな」
沼田は無言で、男の横顔を睨みつけたままだ。
「だがね、沼田さんよ、運命ってのは、すべてが常に決まっているわけではないんだ。つまり未来を知ればそれを修正することも可能」
「だから、俺に未来を見せたっていうのか?」
「そういうことだ。どうだね、沼田クン、思い切って」
男は、ぐいっと顔を近づけてきた。
沼田の顔すれすれにまで。
そしていった。
「運命を変えてみたいと思わないか?自分自身の力で」
作戦はこうだ、と男はいった。
「お前の上司を殺せ。そうすれば、奴には子供が生まれない。そしたら、お前の出世が早くなり、美人の嫁さんとかわいい子供の未来は幸せなものになる。なあに、心配はいらない。俺のいうとおりにすれば、必ずことは巧く運ぶ。やってみろ。自分を信じて。でないとこのままだったら、お前の未来は絶望しか待っていないぞ」

血塗れで息絶えている上司を見下ろし、沼田はガクガク震えていた。
「ど、どうしてあんな奴の口車に乗っちまったんだろう」
沼田は、自分が殺人者になってしまった現実に、今更気づいたのだった。
「逃げなきゃ、何しろここから逃げなきゃ」
次のことは、それから考えるとかない。今は自分の身の保全が大事だ。
上司の部屋から逃げ出そうとして、沼田は悔恨に捉われていた。
(まだ、彼女もできていないのに、どうして結婚できると思ってしまったのだろうか)
自分の顔は、鏡を見ればどの程度のものか自覚できる。
「こんな俺なんかと、あんないい女が結婚なんかできるものか」
玄関のドアを開けた沼田は、棒を飲んだような顔になって立ち尽くした。
警官隊に取り囲まれていた。

「気づくのが遅すぎるよ、沼田クン」
男はひきつけのような声を出して哂った。
「さあて、次はどいつを引っ掛けるかな」
男は中空から地上を見下ろし物色し始めた。
「いたいた、あれなんか良さそうじゃないか」

溌剌とした青年である。
輝くような笑みを振りまき、周囲からも愛されている様子がありありと表れている。
「幸せそうな奴ほど、崩れ狂い行く様は美しい。そう、それこそ俺を喜ばせてくれる最高の贅沢なのだ」
安岡というその若者は、沼田と同じように、自分の悲惨な未来映像を見せられ、絶句した。
男は前回と同じように、
「なあ、未来を変えてみたいだろう?俺の言うとおりにすれば、必ずお前の未来は輝かしいものになる」
若者を唆した。安岡青年はその話を黙って最後まで聞いていた。
「さあ、実行するがいい。お前の輝かしい未来のために」
男の強い勧めに、立ち上がった安岡は、まっすぐ、高層マンションの屋上を目指した。
そして男を振り返ると、
「人を不幸にしてまで、自分が幸せになりたいとは思いませんから」
と笑みを見せ、一瞬の躊躇もなく、宙に身を躍らせた。
男は呆気に取られた。

「下らん!下らん下らん下らん!何が人を不幸にしてまでだ!何を善人ぶっている!いい気になりやがって、この偽善者がっ!」
コンクリートの地面に頭を打ちつけ、脳漿をぶち撒けた若者の横で、男は地団太を踏んだ。
「何にも面白くないじゃないか!せっかくの俺の演出を無駄にしやがって!」
悔しさのあまり、散々若者を侮辱し罵倒した挙句、
「面白くない、ああ面白くない!人のために自分を犠牲にするだと?こんな時代に、お前なんか相応しくない!」
悔しがり過ぎて疲れでもしたのか、憮然とした表情で飛び去っていった。
「当分、このゲームは止めだ、馬鹿馬鹿しい」
捨て台詞を残して。


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