「世間の普通」はこうして出来る | 夢をかなえる、あり方プロデュース

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先日の「世界」の認識の仕方を変える (めっちゃ個人的な備忘録) で書いたような、
「世界をどう見るか/とらえるか」を考えていきますと、
そこには「世間は」「普通は」「一般的には」「常識的には」という、
ある種の壁というか、線の引き方の問題が出て来ます。


というのも。

人は自分の目や耳や、肌でしか、世界を感じる事は出来ません。



もしも。それが他人より優れていたら…?
他人に見えないものが見えたり、聞こえたり、わかってしまったりしたら…?


その人にとっては、その見えている/聞こえている/感じているのが、「その人にとっての世界」ですよね。

それが当たり前だと思っています。生まれつきそうなのだから。


そして、ある年齢で人から
「何言ってんの? 変だよ? じぃ~ 」
「はあ??
「またそんな事言って…ギロッ

 

などと言われる中で、世間とのズレが発覚し、
「そうか、皆は違うのか…354354
と知ります。


そして、間違っているのは自分だと思い込み、
そこに「自分の力を抑え込むための思い込み」を作りますポイント


例えばそれが、
「人の考えが色で見えるなんて、私の思い込みだったんだ」だったり、
「相手の感情が微かな音で聞こえたりするのは、ただの妄想なんだ」だったり、
「正しい答えが、体感で何となくわかるのは、ただの勘だったのか」だったり…。

いろんな理由をつけて、「自分の知覚したもの」を否定していきますなく


そして、
「世間では、こう見えたり聞こえたりするのが普通」という基準に
自分を合わせこんでいきます。




では、こういう流れの中で、
「世間のふつう」とは何なのか?


それは、

「世間の大半の人が、知覚する事の出来る最低レベルのもの」の事です。


図で説明するとこんな感じです。


「自分地図」 ~自分と向き合い、自分らしい“あり方”を選ぼう~

例えばこんな場合、
Aさんは視覚系が強いので、いろんなものが見えています。
Bさんは、体感が強いので、肌でいろんなものを感じています。

けれど、Aさんは体感が、Bさんは視覚系が強くないので、
視覚のAさんは、体感のBさんの話を聞いて、
「はあ? 人の感情が内臓の痛む場所でわかる? 超能力者じゃないんだからさ…汗
といい、
体感のBさんは、視覚のAさんに「
「何? 話の流れが映像で見える? それ、妄想でしょ?じぃ~
と言ったりして、お互いの知覚しているものを、理解できません。

その結果、二人にとっての「世間のふつう」は、
AさんもBさんも理解できる、二人の最低限のレベルになります。


「自分地図」 ~自分と向き合い、自分らしい“あり方”を選ぼう~

こうして、「世間のふつうレベル」より上の部分は、
全て「妄想」だったり「思い込み」だったり、「勘」だったりと

いろんなレッテルを張られて、なかった事になります。

これが、日本人全体で起きていて、
それが「世間のふつう」の概念になります。

つまり、「世間のふつう」というのは、
大半の方が知覚できる最低ラインの話であって、自分の知覚域が
全て「世間以下」である事は、ほぼありません。

(なぜなら、知覚出来る方が「おかしい」とされるので、
 強制的に低い方へ「世間のふつう」は、合わせられてしまうからです)


人の中には、得意な知覚と、苦手な知覚とに偏りがあって、
「自分は視覚は世間よりよくわかるけど、体感は世間なみ」といった具合に、
「世間のふつう」を超えた、他人に説明しづらい知覚を持っています。


であるならば。


ここが大切なんですが、
「大半の人は、ほぼ確実に、世間では知覚できないとされているものが、
 何かしら知覚できているはず」

なのです。

ただ、それを他人に言うと、
「変だよ」「何いってんの?」「エスパー気取り?」「妄想しすぎ」
と、あれこれ文句や批判を受けるので、ほぼ人には打ち明けませんなく


かくいう私も、
最近、知覚域を広げるトレーニングをしていますと、
「こんな事まで実は見えていた/体感していたのか」と思う事が良くあります。

自分の中では、そういう知覚が出た時、
「そう感じてるけど、それって妄想だし」と、自動的に言い訳する思考パターンになっていました泣



つまり。

世間に合わせるための、自己否定(思い込み)があって、
それが「知覚している事実」をなかった事にしているのですポイント


という事は。

ここを自覚するだけで、「実は自分はこんな事を知覚しているのか」とわかるようになり、
それが結果として、「自分は~だし」という否定的な自己認識を崩す、足がかりきらになると思っています。



まだ少しまとめているところですが、おそらく…

知覚に関する思い込みを解く 


 →自分には、こんな事もわかるのかと気付く

 →自分というものの認識が変わる(幾つかの思い込みが取れる)


 →新しい知覚を持った自分を受け入れようとすると、

   邪魔になる価値観、考え、ブロック、思い込みが明らかになる

 →それらを変えてやる事で、自分をより正しく受け入れる事が出来るようになる


 →高いレベルでの自己肯定感が生まれるので、何をやっても結果が出やすくなる



という流れで、ある種の「自分の持っている力を開花させる理論きら」が
成り立つんじゃないだろうか…と。

そんな事を考えてます。

もうしばらく、まとめながら記事を書いてみようと思います。

ブログって、こういう「作りかけ」をそのまま書いてもOKだから楽しいなあ~にこ