君は「正論を言う」と、何度か言われたことがあるが、自分は正論(べき論)でなく、湧き上がってくる危機感からの言葉であり、表現であった。

 

個人的に、仕事、価値観として言葉の重みを評価して言われることはあったが、強く追及されることはなかった。

 

論理的に、数値で語れることが重要であると感じていた時もあった。

 

だが、全く違う価値観が地元愛知県で戻ってきて理解できた。時間はかかったけど。。。

 

政治行政に関わり、仕事の内容を聞いていると、言葉言葉の文字、表現の仕方などに評価、クレームとかが出ている。

不思議である。

 

表現の多様性であり、同じ意味であり伝わるだろうと。

 

表現の仕方を、数値で語る、できるかぎり論理的に語るなどしてると、伝わっているが、「嫌がられる」感覚をもてた。

 

それが、矮小化され「正論(べき論)」となり、正論正論と簡単に表現された結果だと理解できたのも時間がかかった。

 

ある新聞を読んでいると、何を言いたいのか?国語の授業か?と思うような表現のテクニックを使っている文章もある。

それが、良しとしている、価値観あると気づくのも遅かった。

その影響かと思われるような、社会風土もあることも認識できた。言葉遊びも。

 

 

日本語の特性なんだろうか?

文法的には、日本語は日本人を表しているような。。。

 

ロゴス、エトス、パトス。

 

時代は変わってきている、正しい数値化によるエビデンスが出てくる時代へと。

 

*500号で政治行政偏?は、一区切り予定