キリスト教信者の方々には失礼な話になるかも知れないが、クリスマスの成り立ちについて考えてみる。
シリアは、2000年位前は、文化や政治の中核地域のひとつだった。
東のウルあたり、メソポタミアから伝わった地母神を崇めていた。
12月末には、地母神に力を与える太陽が最も弱くなる。
エジプト天文学がまだ破壊される前の時代。
冬至付近に太陽を褒めたたえ、再生を祈願する祭りは、シリアを中心に盛大に行われた。
新興宗教は、古き宗教をコピーしながらも、新しい価値観を植えつける。
それが、主の再生を促す祈りとなった。
これがクリスマスである。
ちなみに、マリア信仰がイエス信仰より盛んな地域がある。
マリアは、エジプトのミリアム(モーセの姉で、モーセが殺されること無くエジプト王家に育てられる策略をした人物)由来だろう。
キリスト教ではイエスをメシア、つまりキリストだとしている。
が、キリストの、あるいはヨハネのモチーフとなった人物が、湖近くに住んでいた。
義の教師と呼ばれた彼が、原キリスト教のイエス像のモチーフだろう。
このイエス像は、やがて東端の島国にもコピーされ、厩戸皇子の逸話となり、後に首相となったバス運転手の先祖が、日本中に広めた。
なお、マスコミの影響が強いと感じているが、イスラム教を一部原理主義者の主張がすべてのような誤解曲解をしている方々をたまに見る。
多くの場合、イスラム教は寛大だろう。
フセインがイラクの大統領であった時代。
外務大臣は、キリスト教信者(東方カトリック)であった。
キリスト教国では考えられないことだろう。