あるブロガーさんが、喜連川藩について書かれていた。
喜連川藩というのはあまり知られていないと思うが、細川家をもしのぐ古くからの名家で、徳川家からも一目置かれ、5000石未満の極小藩なのに、参勤交替や租税免除など大大名以上の優遇を受けていた藩だ。
今は寂れた町だが、かつては奥州街道の要所でもあった。
さて、ここからは私の妄想がかなり入ってくる。
喜連川は、狐川からの派生だという。
たぶん、狐の多い野原だったのだろう。
が、こんな話も考えてみた。
鳥羽上皇の寵娘に、玉藻前という方がいらした。
世を惑わすほどの美女であり、一説では天竺の何某王の妃だったが、やがて殷の紂王で名高い酒池肉林の生みの親、妖女妲己になり、さらに日本に転生した九尾狐だと言われる、歴代悪女にも載る玉藻前である。
この玉藻前は、陰陽師に正体を暴かれて、平家物語にも出てくる那須与一の故郷あたりに封じ込まれた。
しかし、いまだに怨霊の激しく、死煙をはいている。
これが今も立ち入り禁止区域のある殺生石である。
殺生石付近には、湯元温泉もあって、町を賑わせている。
あの悲惨な雪崩事故のあった、茶臼岳の麓である。
湯元から流れた水は、やがて大きな川となり関東平野を作る一助をした。
これが、九尾狐川、後の狐川、今の喜連川の由来である。
★一部妄想部分があります。