【戦後歴史物語】GKスカートめくり事件 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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豊嶋問題で毎日のようにマスコミをにぎあわせている毛利氏。
自転車すってんころりん親分と並んで、忘れられない事件があった。

次の政界をになう者として名が挙がっていたのは、郷泉、桑東、さらに山村を入れた若手たちであり、その頭文字を取ってGKまたはGKKと呼ばれていた。
郷泉は後に総裁となり予想通りとなったが、桑東は自転車すってんころりんさんが泣いてひき止めるなか、一騎討ちに出ようとする映像は、今でも政界の基礎を学ぶ講習では蝦夷熊親子の悲劇と同様、必ず出るタブーとして語られている。


桑東は親など親戚関係者、選挙区などから本間様の領地生まれと勘違いされることが多いが、味噌かつういろう生まれ、つまり鯱(しゃちほこ)を臨むことができる街で生まれた。


第一志望だった浅日珍聞に不合格となり、やむを得ず東大法科やハーバード大留学などをした苦しい時代を味わったこともある。


桑東の乱がなぜ起きたのかは、紙面が足りない。
後日チラチラとスカートの中身を見せていくことにしよう。




桑東の乱で庶民の目にもGKスカート切りが明らかになった最中、党派は違うが蜂蜜おいひーい会ではよく顔を合わせていた空缶やポッポ山からも、時民から出て仲間に入れとお茶菓子をちらつかせながらの誘いもあった。

空缶さんは、将軍様の広報人形に信頼されていたことはブログで自慢したりするが(広報人形からは嫌われていたとの証言も多い)、桑東とお茶会仲間だったことは、なぜか書かない。

お茶会の蜂蜜ゼリーは、極秘扱いなのだろうか?




まあ、日本人は辛子入り蜂蜜は、なかなか味わえないが、功能さんのようにもなりたくはない、


庶民には関係ない話ですがね。






これは小説です。