クンナラ、つまりペクチェの民は長らく差別されていた。
漢や魏が北の地を郡とした時も、その直轄地にはされなかった。
あまりに気性があらく、宗主国が敬遠したからだ。
倭王が安東大将軍となり半島を管轄していた頃も、加羅、新羅の民とは相当違っていた。
それは、あの大唐の時代でも同じだった。
一時、唐はクンナラを支配下に治め、自国に組み入れたが、すぐに手放した。
東胡問題がでたためもあるが、あまりに面倒な民だったからである。
が、それが自国の偉大さからだと勘違いした民は、自らクンナラと偉大な名前を付けたことを自負した。
そこで彼らは立ち上がり、プヨがゴリョから別れて南に移動して打ち立てた国だとの伝説を作った。
もともと名前さえ知らなかった、北にあるらしい火を吹く山を霊山として龍の化身とした。
10紀半ばに大噴火し、世界の気象を変えたこの火山は、半島北部の民を半ば滅ぼし、南に逃げて来た民に圧され、穏やかな民の一部は、南のチェジュ島へと追い出された。
こうしたこともあり、チェジュ島は流民の島として李朝時代まで差別を受けることになる。
いや、この影響は最近まで続き、半世紀少し前には、島民の5人に1人が虐殺を受けるという悲劇をよんでいる。
こんなクンナラの民にも、目をみはる能力があった。
妄想力である。
国内にプヨ郡を置き、プヨの民であるとの裏付けを作った。
また、北の民の伝説である熊王女物語を建国話に取り入れた。
首領抗争から破れて倭に逃げた王子を、クンナラからの伝道者にし、逃走時に持ち逃げした千文字文で倭に文化を伝えたとした。
この話が変形して、因幡の素兎民話となっていく。
はるか昔、まだ日本にシュメール絵文字から生まれた呉字や漢字が伝わる前の、縄文字しかなかった時代の話である。
クンナラの妄想力は、岡倉天心など明治の文化人にも影響を与えた、