★名古屋のみのもんたの蹴飛ばしマイクで顔叩きにしろ、東京の本家みのもんたのお尻なでなで事件にしろ、昔なら当たり前のことだったろう。
新入社員時代、工場に回されたばかりの頃は、私も頬を大変速く撫でられたりもした。
私の人生では、理由不明の原因で頬を張られたことはなかったから、最初は驚いた。
が、昔の工場では、こうした方々の存在は稀ではなかったから、そんなものかと思っていた。
この感覚は日本ではよくあることだったし、田舎では学校の先生が木刀を持っていた時代を知っていたから、さほど不思議ではなかった。
今ならテレビ新聞が飛び付きそうなことは、日常茶飯事だったと言ってもいいかも知れない。
殴られたことなどは今なら笑って話せるが、それでも海外転勤となる2年くらいは鬱憤と憂鬱の中にあった。
当時の、工場先輩は激情型の方々が目立った。
が、根は素直であるかたがほとんどだった。
一時私に機械手順を指導することになった方は、仕事で負傷したことのある共産党支持者だったが、この人は怒りっぽい反面、私の面倒はよくみてくれた。
私がどう頑張っても共産党支持者にはならないと分かると、父親くらい方だったが、ひどく仲良くなった。
今でも、その方の顔や話し方はもちろん、歩き方まで覚えている。
素晴らしい方だった。
私をよく殴ったり蹴飛ばしていた方は、当時は私が海外に行くまで嫌な雰囲気が続いたが、彼の情緒不安定の原因を推定できるようになり、今は殴られた痛みも温かい。
が、まだ若いのだなあ。私も。
南洋で再会した元上司。
この方は、小さな心の私には、まだ蟠りがある。
男の嫉妬とかいうものを、初めて知った相手だった。
死ぬまで、ああはなりなくないと思っているが、自分で無意識のうちに嫌らしさも出てくるようになってしまった。
注意しよう。