田舎には、子供が最初に知るべき食べ物のタブーがあった。
青梅は食べてはいけない、と言うものだ。
子どものころは、暦の脇には食い合わせしてはいけないものが絵で示されており、梅干しとうなぎなどが載っていた。
しかしそれらタブーの大半が、科学的に意味のない迷信の可能性が高いと知ったのは、中学の時である。
だが、当時の田舎においては、この食い合わせをまもるということは、新聞やテレビいうほとんど嘘ばっかしの政治プロパガンダを信じること以上に大切なものだった。
ある日の午後。
黄色に色づき、得も言われぬ香りを発している落ちた梅を見つけた。
あの暦のように、これも科学的に意味がないものだろう。それにこれはすでに青梅ではない!
そんな考えが、頭に浮かんできた。
少しかじってみた。
うまい! 何ともないではないか!
と思ったのは、わずか1分もあったろうか。
急に胃から突き上げるものがあり、すべて戻してからしばらく苦しんだ。
記憶に残る、ものを戻した最初のものだった。
昨日昼頃、『家族に乾杯』という番組を目にした。
台本の無い旅番組のようなもので、田舎では相当人気の番組だ。
昨夜のロケ地は、私が社会人になって初めて遠出したあたり、南出雲だった。
ある農家に寄ると、お茶菓子として梅干しが出された。
レギュラー鶴瓶の相方女性がその梅干をえらく気に入り、何もなしに口に入れたばかりか、自分用に土産までねだっていた。
かつては、漬物をお茶菓子にすることはよくあったが、梅干しというのは初めてである。
と、先日漬けたばかりの梅が気になった。
梅酢が吸い取られ、上部には塩分不足による腐敗間近の傾向が見て取れた。
少し早いが、取り出して天日干ししなくては、と考えて実行した。
夕方には取り込んで部屋に入れたが、色合いが何とも言えない。
市販のものでは、まず見られない梅干しである。
あと1か月は待たなくては。
とは思っていた。
が、その番組の記憶と香りが私を悪の道へ導いた。
かなり大きいが、1個なら大丈夫だろう。
ご飯も何もなしに、口に入れた。
一かじりして、大丈夫と頭が言っている。まあ、信頼度が希薄な命ではあるが、
こんなことをしたのは、現地人が恐れてしないであろう、ドリアンと酒の食い合わせ実験以来だ。
数分待った。
何も起きない。
1時間が過ぎた。
なんら不調はない。
半日過ぎた今、深夜なのに、梅干しを立て続けに、2個だけにと我慢して口に入れた。
まだまだ熟成がなされていない、若い酸味が主の梅干しだ。
見方によっては、危険な遊びである。
こんなことは、自家製でしかできいまい。
しかし、梅干って、こんなに旨かったか?
明日、スーパーで捨てる前になって安売りしてくれるであろう南高梅を探すとしよう。
★深夜に、梅干だけ口にして、感慨・恍惚としている病爺。
ほとんど、ホラーである。
シソや人工着色料を用いない
若い梅干
贅沢な食品だ