45年ほど昔、中学時代に同じ名前の論文を書いて発表したことがある。
普段は何も口出ししない親父が、唯一ちょっかいを出してきた。
発表は体育館で行われたが、サッパり分からないことを言っていると、同級生には不評だった。
まだ、PCはおろかワープロもない時代だったから、これは仕方がないかも知れない。
しかし、来賓として来ていた国会議員だかか県会議員さんたちには興味を持って聞かれていたらしい。
内容は、やがて日本などは情報化時代に突入するが、ここで大切なのは情報収集ではなく、情報の選別だ。だからそれができる能力を備えるようにならなければならない、という主旨だった。
今でも使えそうなフレーズだが、この結論部分は親父の力が主だったろう。
その時代は、まだ考えていなかった事例を、最近発見した。
あるブロガーさんが根拠とするデータを紹介するものがあり、そのショートカットを探ると確かにブロガーさんのおっしゃるような事例が書いてある。
が、これはイカサマだった。
ショートカット先には、いかにも公的機関を冠にしたホームページがあり、ややもするとその詐欺に気づかない。
しかし、よく見れば微妙な違いがあって、公的機関ではないことが分かる。
詐欺も、ここまでくると見わけが難しい。
先日記事にしたパナマ文書にあると言う官僚の名前の根拠も、書かれた人に聞いているが、質問の表示さえされず、当然こたえも帰ってこない。
得意の、ねつ造記事の流布だったのだろうか。
私はPCのド素人だと思っているが、個人が特定できる記事を書く場合には、一応簡単な確認はする。
それさえしないで流すようなことをする方がいることは、実に驚きであり哀れである。
目的のためには何をやってもよい、という理論には合致するのだろう。
いよいよ、情報選択が難しい時代に入ってきた。
★最近アメブロで始めたリブログというシステム。
法的に問題はないのだろうか。
根拠が嘘のデタラメ記事の流布には、非常に重宝しそうではあるが。