ある疑問を投げ掛け、皆に答えを求めたとします。
それに対し丁寧な解答があったにも拘わらず、自分の得たかった答えがかえって来なかったとします。
さらに、鼻で笑うようなリコメをしたとしましょう。
私のような短気な人間は、もうこれでアウトです。
二度と教えないぞとなってしまいます。
さらに、相手の捩れた性格を憎んだりもしました。
が、最近、見方が変わりました。
相手は、日本語の理解ができない、行間を読むことができないお方なのだと。
だから、意見と非難の区別もできなければ、区別と差別の違いさえ理解できていない方なのだろうと。
反証を明示することは、おそらく煮え湯を飲ませたことになるのだろうと。
そう考えると、怒りが無くなり、憐れみを感じるこの頃です。
でも、他人の振りをして犯罪を起こす輩は、未だに許せません。
まだまだ、赤ちゃんなのでしょうね。
★追記
かなり昔の話になるが、テンの毛皮を羽織った動物愛護団体の顔が話題になったことがある。
俺は動物虐待もしていなければ殺してもいないと、その夜はキャビアとフォアグラに舌鼓を打ち、食肉加工業者を差別する方がいらっしゃったかもしれない。
ソーラーパネルは環境にやさしいと、製造過程や廃棄処理を全く無視した商法もある。
自分ちがきれいなら、その前や後に出るごみは隣のうちに捨てるから、我が家はきれいで環境にやさしい。
隣んちがごみ屋敷だろうが、毒畑だろうが関係ない。
不思議な理論である。
私は疑問だが、マスコミ用語の地球温暖化に悪影響を及ぼす二酸化炭素の発生は、製造や廃棄でたくさん出るのではないの?
いや、自分ちはきれいだから、関係ないのだろう。
テンの毛皮を羽織った、団体営業レディーを思い出した。