【噂】国際指名手配・極悪人か??? | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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家が貧乏だったというだけでなく、学生時代から会社に入ってしばらくは、私は結構嫌な思いをした。


同時に、経済的に貧乏ではあったが、ある面においては途方もなく豊かでもあった。



さて、一部は記事にしたこともあるが、私のうわさをまとめてみよう。


中3時代から、私の周りにはテロリストの噂が吹いていた。

これは今でもはっきり覚えているが、近所の店に買い物に行った際、地元人ではない、方言のない数人のあんちゃんから道を尋ねられた。

その顔までは覚えていないが、その夜に猟銃強奪事件があり、のちにそれは山荘事件などにも関与することとなる。

このときは中学校にも警察が来て、私は調書を取られている。

とはいっても、地元民以外の若者を見た参考人としてだが。



高校時代にはロケットを作っていたが、たまたま軌道をそれたロケットが高校の大先輩の銅像にあたってしまい、これがのちの天台宗大僧正に見つかってしまう。

ロケット部は、即廃部となった。


大学入試を前に、近所で警察爆破事件があった。

そうなった理由は政治的なものとは全く関係がなかったが、主犯格は何らかの色に染まっていたようだ。

その主犯格は、10年くらい逃走したのち自首して捕まった。

が、その逮捕までは、私は一部親戚からも疑られていたふしもある。

なにせ、実行犯はよく知る中学時代の友人だったから。


そんなこんなで、私は30才くらいまで、灰色人物であった。

下宿探しは、結構苦労した。


眼鏡をはずした場合には、世界的に有名なテロリストとそっくりであった。


左右の眉毛の形まで似ていた。

そのせいかどうかは知らないが、ヒースローではフロンガス入りのスプレー(出張に必要で会社から持参を命令された)の件では、ヒースロー空港で別室入りし1時間くらい絞られたこともある。


ヒースローでは、トイレに行くために荷物を置いて駆け出し、左右をガッチりとつかまれ、やはりテロリスト扱いされたこともある。

まあ、これは荷物を置いて駆け出すという自殺行為に似た行動をした私がいけなかったが。

場合によっては、背中から鉛を入れられてもおかしくはない。

当時は海外事情に疎かったから、こんな危険な行動までしてしまったりした。


今なら笑えるが、よく無事だったと思う。


こっちから自動小銃あんちゃんに向かっていった時より、はるかにあせった。



★かつてのシマちゃん(私)と、世界的テロリスト

眉の生え方や形までそっくり

各地に旅行する都度、どこかで会ったわねと声をかけられた。

駐在に道を聞いたりすると、警官が焦っていたこともあった。


ちなみに、私は両手5本の指すべて指紋を取られており、悪いことはできない。

これは政治的な問題ではないが、いささか他人様に問題の出る可能性もあり割愛する。

あるときは警察官になるよう勧誘され、下宿までパトカーで送ってもらってもいる、



先日亡くなった遠縁の方は、部屋???の新築式に今上陛下(当時は皇太子夫妻)をお招きしたと伯父さんから聞いたことがある。

私が見たわけではないが、その方の父親のことを考えればありうる話だなと思った。


また全国屈指のテキヤの御所の名前は、私と同苗字でもある。


子供のころ、なぜか親切だったおばちゃんの家は、村一番の金もちで共産党だった。

その隣の大きな屋敷が、私の本家筋にあたるが、会社では共産党家とその本家を混同していた。


また、新入社員の時に会社の那須の別荘に行ったが、このときは昭和天皇がいらっしゃっており、会社回りで赤旗デモがあったと別荘に連絡が入り、私の所在を確認する電話があったりもした。



そんなわけで、新入社員当時は、私は極左のテロリストであり、極右のやくざであり、やんごとなきところにつながるらしい人物とのうわさがあったことは、友人の総務関係者の話からも推察できた。



会社では、私の学生時代のことをよく知ってはいたが、同時にどうしようもない勘違いもしていた。


新入社員になってわずか半年で、新しい工場の次期工場長と一緒に工場図面確認などもしていた。

今考えると、どう見ても異常だった。

新入社員1年目。私が辞令をもらう前に、本社の連中は私が本部付けになったことを知っていた。

若気の至りで会社を辞すと決心したときには、当時の専務が個人的に酒に誘ってくれ、いろいろあった。


たいがいのことには驚かない伯父が、俺でさえ1分か2分しか話をしてもらえないに・・・・。

と話していたことの意味が、いま少しわかってきた気がする。




そんな私だが、結局自分の能力を無駄遣いし、いまや食うや食わずの日々である。


若いころには、結構すごい能力があったが、当時はそれが当たり前と思っていたから、その力を使わなかった。

使ったのは、ろくに勉強しなかったことぐらいだ。



で、二十歳前後にその能力が珍しいものだと知った時には、美しい方々にふらついたせいもあり、特殊らしい能力はほとんどなくなっていた。



私は親父のような聖人ではないから、あと少し楽な生活がしたいし、子どもたちに親らしいこともしてみたい。