【誇大妄想・古代妄想】梅原先生→金比羅山→田布施信狂者考 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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現在の日本では異色の歴史家の代表として、梅原猛氏を挙げることができるだろう。


歴史嫌いの私だが、SFやら推理小説は好きで、梅原先生の名前は結構昔から知っていた。

最初に著作にふれたのは、古本屋で買った『水底の歌』だったから、相当昔のことだった。


異色とは言っても、今は京都市の名誉市民となった文化勲章者でもあり、現在は押しも圧されぬ日本を代表する哲学者・歴史家だろう。


しかし、昔は営業に走った変人、といった評価のあったとの記憶がある。





さて、この梅原氏。

たいへんな苦労を背負った方のようだ。


が、私が尊敬しているのは、そうした重い運命や古い歴史観に凝り固まった先達に批判されながらも自らの研究・見解を通す反骨精神ではない。


それもすごいのだが、最も素晴らしいと思うことは、自説の誤りを認めると言うことだ。



私の様なアホ・ボケは、誤りはすぐ認めてしまう。


しかしながら、研究者、とくに歴史関係の研究者にはかたくなに自説を守ろうとして自爆する方が多いと感じている。


その代表が、邪馬壹国説(やまいちこくせつ;邪馬臺国ではない)を唱えた古田氏だろうか。


梅原氏も、古田氏ほどではないが論理の飛躍が時々見られる。

そこがSFファンや妄想狂には嬉しいところだが、一方で私のような素人でも首を傾げてしまったりする部分もある。


しかしながら、ここから後が違う。

数十年たって、自説の誤りに気付いた時点で、これを認めたりするのだ。


これはすごいことだ。


現在の歴史教科書が、最新の生化学知識を無視しカビの生えたような形態学や思い込みに沿った学者の意見を主に記述しているのとは違う。


多くの場合、著名な歴史家は、古代日本や日本人に関しては、科学的ではない結論が先にあって、それに沿った肉付けをしているように感じる。

これは、日本の特定マスコミや政治家などにもみられることだろう。


事実よりも情念が重要なのだ。



もっとも、こうしたことは日本だけでも、歴史世界のことだけでもない。


実は、自然科学にもこうした力は働いていそうである。


比較的最近、冥王星が準惑星(日本語では準惑星と訳されることが多いが、矮惑星という訳のが近い。言葉狩りを専門とする人たちからの、有形無形の圧力があり、この訳は使えないと推測する)とされたのも、その例だ。

冥王星を惑星と呼ぶには多くの疑問があることは、私が子供時代から言われてきた。

が、それを表だって言えない力もあったようだ。


冥王星発見者の生誕100年の祝賀行事を経て、死後10年の弔いを経て、学界でもやっと言葉に出せるようになったわけである。


そうしたことは、身近にも多いだろう。

また国を揺るがす様な報道をしたマスコミにおいても、それは大いに言える。

たとえば、朝日新聞では南京大虐殺報道の本多氏を批判することはタブーに違いない。

歴代社長などを批判できても、本多氏への疑問は記述できないだろう。



だから、本多氏自身に世間に発表してほしい。

南京大虐殺写真集にある一部写真の誤りを本人が認めたとする報道もあったが、そのマスコミ以外は報道していないから、怪情報の域を出ない。


ある写真に関しては、素人の私でさえも、捏造99.9999%以上だろうと言えるものを見つけている。

が、大手マスコミは、こうした汚い事実を報道しない。

その汚さは、吐き気さえ覚える。




が、捏造してでも日本と日本人を貶めるのが会社方針とすれば、これも納得ができる。

そういえば、どこかの大手マスコミは、かつて殺人者を隠匿・逃亡幇助したことがありませんでしたかね。

自衛隊員は殺してもいいと考えている人が、人権家の一部にいるようだ。

怖い怖い。




話がずれてしまった。


本題に戻ろう。


今回は、昨日の『ちょうさ』の続きのようなもので、ちょうさ(雨乞い太鼓祭り)と深い関係がある讃岐・金比羅山について考えてみたい。


まずは、Wikipediaの由来説明を調べてみる。






なるほど。

これは楽しい由来説だ。

コンピラという音は、インドのクビラにも似た音だし、その役割(海上保安)も金毘羅宮に重なる。


クビラに関しては、下記参照ください。







さて、ここからは義務教育では教えない領域の話になる。


金毘羅宮は古代から海の守り神であったようだが、平安末期・鎌倉初期からは大怨霊を鎮魂する社にもなる。


日本の悪魔的存在は、別格の出雲大社があるが、これは大きすぎて祀っている。

雲太和二京三でもわかるように、別格神として褒めたたえてもいる。

この怨霊は巨大すぎて、恐怖の対象とはならない。


今は、縁結びの神様に変化している。







皇家が最も恐れたのは、この金毘羅宮関係の怨霊だ。

だから、大政奉還前に、明治天皇はここの主神でもある崇徳天皇の怨念を都にお迎えお詫びし安んじていただいている。

いや、昭和天皇も勅使を出したらしい。


この崇徳天皇は、出雲の大神を除けば日本最大の怨霊神であった。


いや、今でもそうかもしれない。


古びた神社や道の辻に、白髭神とかいう石碑を見ることがあるが、これは崇徳天皇の鎮魂を祈願したものである。

また、松尾神社と言う社もこれに関係するだろう。


天皇家は800年にわたって、この金毘羅宮に深く関係する怨霊に苦しめられた。


同時に、これの格上げをし怨霊退散を祈願した。

 



金毘羅宮の主祭神が、大物主(現在は、出雲の大国主と同一視されてしまった)と崇徳天皇であることは、実に興味深い。





大物主は、伝説上の日本の大魔王。

崇徳天皇は、資料に残る日本の大魔王だからである。



さらに、金毘羅山起源には、役小角が深くかかわっている。


これまた、日本屈指の悪魔・怨霊の代表だ。


三者ともに、日本の大王家に深く関わっているが、反体制派の代表でもある。




日本が天皇を象徴とする国になる基礎を作った大王が、出雲の神かもしれない大物主。

日本には大王の力さえ及ばないものがあることを具現化したのが、役小角。

日本が800年間武士社会中心となった原因を作ったのが、崇徳天皇。




なかなか興味深い社なのだ。




それで思い出した。



私の動画で、評価が大きく分かれる物の代表に、田布施システムと言う奇想天外なものへの反証動画がある。



https://www.youtube.com/watch?v=hJ0zI-Bhvfw



この田布施システム信者は、多くは歴史や日本語・地理の知識が乏しい方と思われる。

が、こんな説を信じやすくさせているのが、日本語・地理知識の貧困だけではなく、小さな地域から首相が3人も出たことを挙げていることにも関係するだろう。


が、これはそれほど奇異なことではない。

実家近くのある地域では、1km四方くらいの場所から人間国宝2人、国際博覧会特選(天皇からも、直に御言葉や歌を賜る)、記念切手になった人物など、複数の著名人を輩出した地域もある。



日本語の成り立ちや宮中行事に必要な事物・心構え・経験・環境・品格・人間性を考えずに、単に表面的なことだけで田布施システムの様な話を作り、天皇家と日本をバカにする説を信じる方々は、本当に日本人としての心があるのかな?



と思ってしまう。

つまり、注視すべきは、国籍や民族と言うことではなく、心のありようの問題である。







いつものことだが、梅原先生の話題から、全く関係なさそうな話にとんでしましました。



では。