【言葉とお子ちゃま思想】勘違いの例 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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若い人には少ない気がするが、年をとると頭がだんだん硬くなってくることが多い。

少なくとも私の場合はそうだ。

視野が狭くなったり、固定観念から抜け出すのに苦慮することが多い。

いまは苦慮だが、やがて固定観念から抜け出せなくなったりするのだろう。


怖く残念なことだ。

できる限り、そうはなりたくないものだが。



さて、そんな固定観念などの話だ。


割合としては少ないと思うが、そんな固定観念、あるいは誤解と思われるものを考えてみた。







1;風刺と下劣・法無視・非常識を混同。




2;言論の自由と、嘘・捏造流布を同一視。




3;ハーバードとかロシアアカデミーなどという言葉だけで、相手を信じてしまう。




4;暴力をふるったのは、暴力をふるわせるようにさせたからだとの理論。

  つまり、自分の過失は認めない。

   (一部に、かつてのマルクス・レーニン主義や革命願望、あるいは韓国風変形儒教にも通ずるところがある)




5;共産主義は現実にはひどい格差社会・階級社会を産むが、そうした歴史的事実を無視して、いまだにお子ちゃま理論で遊ぶことを理想とする方も、まだかなりいそうだ。





6;差別反対派自身のその他の人たちへの、差別や暴力を報道しなかったり自覚していない場合が多々見うけられる。






7;いまどき、冊封体制や中華思想に準じる考えの方が、まだ一部存在する。






8;韓国風ファンタジー、あるいは朝日・毎日新聞風的捏造得意なマスコミの歴史観から抜け出せない方々が、相当存在する。





9:政治批判と誹謗中傷・名誉棄損・犯罪的捏造の区別がつけられない。





10;是々非々の考え方を日和見と考える。

 つまり、内容に関係なく単に反対することが重要であるという奇妙な考えもある。





11;自国などを批判することが、インテリやら正義であると考える人もいる。





12;死刑制度に反対していながら、すぐ近くの大量虐殺などを隠したり、むしろ称賛する。

  最悪の場合、知らないか知っていて知らぬふりと思われることもある。

   





13;物事を損得勘定でしか考えたりできない。

   そういう場合も必要な場合もあるが、人生をそういう風には送りたくないものだ。









最近、ふとそう感じた。