【記憶と連想】続・高倉健に関する徒然 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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夕方には、高倉健という言葉から出てきたイメージを、言葉の羅列をするにとどめた。

あと少し細かく回想してみたい。

高倉健の任侠映画のどれとどれを映画館で観て、どれとどれをテレビなどで観たのかは記憶が曖昧だ。
が、子どもの頃からよく知る役者さんだった。

高倉健と言えば、いわゆるチンピラではなく筋の通った男、前科もちではあるが、それはやむを得ない事情により犯行に及んだものであり、それは観客の共感を誘うものだった。


その高倉健の、役者としての大きな転機は山田洋次監督『幸福の黄色いハンカチ』だったろう。

あれには驚いた。
全く新しい高倉健が、そこにいた。

いやいや、新しく見えたのではない。
昔からあった高倉健のイメージを崩すことなく、より重厚な役者ぶりを見せてくれた。
あの映画では、ラストに1分さえ映像に現れない倍賞千恵子の演技も光った。
わずか2、3秒の顔と姿なのに、映画の中で燦然たる光を放っていた。

高倉健同様、とんでもなくすごい俳優さんだと思う。

この『幸福の黄色いハンカチ』とほぼ同時期に話題となった『野性の証明』。
これは薬師丸ひろ子ばかりが注目されたが、あの自衛官役をこなせるのは、高倉健以外にはほとんどいなかったかも知れない。

適役だった。


高倉健は、学生たちにも絶大な親近感があった。

当時東大には『泣いてくれるなおっかさん』で知られるコピーが掲げられ、これはある分野では金字塔的な存在だろう。



『鉄道員』と聞くと、私はどうしても内田祐也の『水のないプール』を思い出す。

あの中でのミイは、ひどくセクシーに感じられた。 より正確には、無垢な女性の演技の中に、えもいわれぬ色気を感じた。


高倉健。

不器用だけど格好いい大人だった。