よくコメントをいただいているブロガーさんが、高島暦について書かれていた。
これには、結構面白い思い出がある。以前、記事にした気もするが。
その会社に入ったのは半分はコネだったが、もちろん入社試験は受けている。
母校の大学では創設以来のバカで、棒にも箸にも引っかからなかった私だし、性格もどうしようもない人間だった。
が、そこの入社試験はトップではないが、どうも2番目か3番目くらいの成績だったらしい。
いまや大体の方がご存知の有名企業ではあるが、当時はまだまだのんびりとした、明るい徒弟制度的な、時には少しだけ速度が速いやや力のこもった頬の撫で方をしてくれたり、場合によってはお尻の出っ張りを足で強く補正してくれたりもしていた。
とにかく、厳しくも非常に楽しく面白い会社だった。
新入社員に毛の生えた程度の人間が、専務やら常務ともケンカできるほどいい会社だった。
そこで私は、途中から鉄砲玉みたいな仕事専門になった。
といっても、腹に新聞紙を巻き付けたりする必要もなければ、危ない茶菓などは不要だ。
新しいところで優しい日本人が暮らせるかどうかの、先発調査隊員のようなものである。
これを読んでくださっている数名の方はご存知のように、歩く凶器だか狂喜とかあだ名されたこともあったが。
そんなある時、どうしても高島暦が必要になったことがある。
結構学習した。
で、時には当該国の公安やらに目をつけられながらも、10枚程度のレポートを書き上げた。
ただし、最後の2枚くらいに、このようなレポートを書きましたが以下の理由でまったく科学的ではありません。
そんなことも書き添えた。
当時の上司は、私のことを心配してくれたのであろう。
これはこうだな。
といって、破り捨ててくれた。
まあ、私を救ってくれたのだろう。
この時の上司の笑顔は、よく覚えている。
いい上司だった。
あれがなかったなら、私は若くして窓際に座っていただろう。
まあ、そんなことがあった。
高島暦。
信じる人は信じればいいし、信じたくなければ信じなくてもいい。
懐かしい名前に、ついつい若かりし頃、元気だった頃を思い出した。