さて、今日は魏から倭への遣倭使の話だ。
卑弥呼が魏へ遣いを出した2年後の正始元年。
太守の弓遵は建中校尉梯儁らを遣わして詔書、印綬を委託されて倭王に拝謁し、詔とともに以下のものを賜った。
金棉、刀、鏡、采物。
倭王は上表文で詔恩の意をあらわした。
正始というのは、魏の3代皇帝・曹芳(そうほう)から始まる。
曹芳は、斉王という名前のほうが知られているようだが。
贈り物は大体わかるじゃろ。
うん?采物がわからない。
まあ、柄物の着物とでも考えればいいんじゃないかな。
身分・位によりその柄や色は決まっていたようだが。
まあ、不思議な記述だ。
あちらからしたなら辺境の東夷に、遣いまで出して贈り物をしている。
魏の政情不安があって遠方の味方たがほしかったという考えをしても、あまりに遠すぎて助けにならないはず。なんとも、不思議な話だ。
短いが、今日はここまで。