さて、あと少し卑弥呼について説明しよう。
卑弥呼の年齢は不明だが、すでにかなりの歳だ、
しかし、夫はいない。
そのかわり男の弟がいて、これが卑弥呼の身の回りの世話をして国を統治している。
えっ?弟なら男に決まっているから、男の弟という表現はおかしいってか。
おいおい、古典で習ったことを忘れたかいな。
「おとうと」とは「おと・ひと」つまり、おそらく乙人だ。
古代には、今でいう弟も妹も意味したわけだったろうよ。
卑弥呼が連合国の王に選ばれてからは、奴婢は何千人といるのだが、直接拝謁できるものはほとんどいなかった。この弟がもっぱら食事を運び、また詔(みことのり)を伝え、唯一在所に入れたのだよ。
その居所には、宮室、楼閣が威厳をもってそびえ、城柵もあった。
また、常に守衛兵が武器を持って守っていた。
うん?そうだ。
この記述から、佐賀県の吉野ケ里を邪馬台国とする説もあるな。
また、出雲大社をこの楼閣にあてる者もいる。
考え方によったら、秋田あたりの遺跡だって邪馬台国に比定できるかもしれない。
まあ、このあたりは分かりっこないから、ロマンとして残しておいていいんじゃないかい。
明日から面倒なところに入ってくる。