全員とは言わない。
かなりの人たちは、周りを知らない、あるいは純粋に平和や平等やらを守りたいという善意の方々だと信じたい。
しかしながら、一部には少なからず日本国籍を持たない人たちもいるだろう。
しかも、その外国籍の方々のほとんどは、国籍のある国に戻りたいとは考えていないだろう。
怖いのである。自国に戻ることが。
それでも、南ならば差別を受けひもじさと戦うくらいですむ。
しかしそれが北なら、翌日まで息をしていられるかどうかを、毎日心配する日々となる。
そんな生活は考えられない。
だから、日本にNO!を突きつけるのだ。
そうしないと、生きていけない現実があるかも知れない。それは全く分からないが、一部の国に純然と存在するように、子が親を、妻が夫を密告する世界を考えれば、日本にYESを表明してはいけないのだ。
最近の記事で時々出てくるが、赤南瓜から来たある程度の年齢の人たちは、概して無口である。
なぜなら、下手なことを言ったなら、我が子にさえ密告される危険を肌で感じた時期もあるからだろう。
密告されたなら、明日息をしていられる保障はない。
仮に「腹減ったな」程度の独り言でもだ。
この呟きは、国家反逆者になりうる。
腹が減った=今の政府が悪いから空腹だ=国家反逆者
というわけである。
だから、大多数の平和過ぎる日本しかしらない、あるいは海外の観光地や、欧米の国々しか知らない、平和を愛し、不平等を嘆く善良で無知な日本人は、本気でデモに参加し、必死で日本と日本人のわずかな短所を、1万倍に過大評価して嘆く。
平和過ぎるのである。
しかし、デモやら日本と日本人を嘆く側にも、逆にそういう人たちを叩く側にも、全く別の意図をもって動いている人たちもいるだろう。
いや、間違いなくいる。
ただ、彼らにも本音を言えない悲しみもあったはずだ。
年とともにそうした感情が薄れ、やがて反対が身体の一部になっていくのだろう。
そうなると、自分の持っている考えの矛盾は矛盾ではなくなっていく。
最初はつらかったに違いない。
しかし、日本人の良識でつらさを考えると、また危険な落とし穴に入ってしまう。
日本がこうなってしまったのは、そうした相手側に立った見方ができず、全て日本の、日本人の物差しで考えてきたからだ。
そろそろ、日本人も少しは目を鍛えなければならない。
日本の物差しだけで考えて大丈夫なのは、日本の中だけである。