前回は縄文人として教えられていた人たちに関する疑問や誤りを述べました。
今回は、義務教育などで弥生人と教えられている人たちに関して、同様に疑問、間違いならびに私の意見などを挙げます。
★参考文献
勉誠出版
崎谷満著
『新日本人の起源』神話からDNA科学へ
(ユキヤナギの一種)
★弥生人従来説の疑問など
①いわゆる弥生人というのは、北方系新モンゴロイドという別の人種、あるいは生物学的に亜種、種に由来するものではない。
→これは、今後の日本の社会や理科の義務教育内容を見直す必要があります。 私たち年代は、形質学的な推測から縄文人と弥生人を分けて学ばされました。これから新しい科学により、また新たな事実が分かってくるでしょう。が、ここは早めに改訂すべきと思います。
②日本列島における完新世後半(注;約5000年前以降のことと思われる)の水稲農耕開始期の流入集団は多様だ。
これは日本列島固有集団ではなく、東アジア共通集団である。
→知識不足、ならびに理解力不足により、正しく飲み込めていない。多分、日本で水稲を始めたのはいわゆる「弥生人」と呼ばれている集団ではないといいたいのだろう。それらならば十分納得できる。
③いわゆる「弥生人」にのみ水稲農耕開始集団とする見方は誤りだ。「縄文人」を含め、日本列島ならびに東アジアの集団のほとんど全てが北ルート(このシリーズ;日本人の誕生その18参照)であり、南ルート集団はほとんどない。
→前回も書きましたが、いわゆる「縄文人」と考えられていた集団まで北ルートというのは驚きでした。私は先週までは南ルートを信じて疑いませんでしたし、言語から考えても南ルートと思っていました。
④水稲開始期の九州や西日本において、多数の単一「弥生人」集団により「縄文人」が駆逐されていった説は誤りである。
→これは、本当に驚きです。Y染色体D2やC1のデータを見なければ、私は全く信じなかったでしょう。水稲が「弥生人」によってもたらされたというのが間違いというのは、昔から知っていました。
しかし、「弥生人」に相当する集団が大陸から朝鮮半島、あるいは琉球列島北上などして九州に侵入し、少しずつ「縄文人」を北と南に追いやり、現在の奈良盆地や大阪平野付近に集団の中心を移動し、大王を頂点とする大和国家を作ったと考えていました。
生物学的に、これが完全に否定されてしまいました。
⑤いわゆる「弥生人」にのみにより、農耕が日本列島にもたらされたというのは誤りだ。新石器時代にすでに農耕が行われており、そこに水稲農耕が持ち込まれただけである。
→確か数千年前の土器の底から、ケイ素の多い米由来オパールが見つかっている。
とにかく、日本の義務教育の「縄文人」 「弥生人」の記述を止めることが、生物学上は望ましい。
しかし、歴史教育、特に義務教育に関わる先生方には、生物学を無視し、とにかく朝鮮半島経由か大陸から「弥生人」が日本にやって来て日本人になったと固守したい人もいるだろう。
なぜならば、日本における歴史教育とは事実を教えることではないからだ。
事実と信じさせたいことを歴史にしたい先生方も、けして少なくはあるまい。
だから、こうした科学的データの裏付けがあってもなお、日本人は大陸や朝鮮半島人の移動説が消えることは、しばらくはあるまい。
だが、朝日新聞が作ってしまったような、わずか100年にも満たない過去の捏造歴史は、やはり改めるべきだと考えている。
(ミツバツツジ)