再掲【南京事件?】兵士の日記 検証1(前書き) | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

これは、2013年11月3日から書いた、いわゆる南京事件の話です。

資料は、大虐殺肯定派である、朝日新聞編集長本多勝一氏編纂のものです。

よく知られている斉藤某以外部分をみていきます。

全部で、6回か7回くらいになります。


…………………………………………………………

南京事件とか、南京虐殺とか言われるものがある。
それは“事実”として、南京自由市民人口以上の30万人とかいう、理解し難い数字まで泳いでいる。
これらについて、かつては私の尊敬する人物でもあった、朝日新聞の本多勝一氏などの著書に記されている。
が!
少し調べただけで、?マークのたくさん出る話であることがわかった。

今では私は、この南京事件は捏造だと思っている。
実は、これらを教えられる前には、南京市民が拍手・万歳で日本軍を迎えたとも聞いてはいたが。

確かに、南京入城の際に数千人から2万人くらいまでの兵士、または便衣兵(民間人の中に隠れていた兵士)は戦いの中で殺傷したかも知れない。
が、民間人に対しては0とは言えないだろうが、兵士と間違ってしまった場合以外は、ほとんど殺戮は行っていないだろう。

最近、中国で虐殺の証拠写真とされるものが、ほとんどすべて捏造であることがわかってきた。

また、南京にいた牧師は1人は殺害されるところをみたが、他はないと証言している。
さらに当時敵国のジャーナリストは、日本軍が民間人を殺害することなどあるはずがないし、南京での虐殺など聞いたことも無いと言っている。

外電で伝えた報道は、みな逃げた南京政府経由の又聞き(一部賄賂の話あり)であることもわかっている。

さて、今日からは、その南京大虐殺なるものを唱えた、本多勝一氏、小野賢二氏ならびに藤原彰氏の編集である、
大月出版
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』

なる本の中から、その大虐殺があったとされる、1937年12月中旬から38年1月の期間の記述で、私が
「これが南京市民を全員虐殺した記述ですかな?」
と疑問が生じた箇所を数回に分けて紹介していきたい。


まずは、こちらから。
なお、現代口語訳(しま爺訳)文にします。



堀越文男 陣中日記

12月19日
難民区に入って、難民の売る平らなパンみたいものを食べた。
(中略)
立派な建物があったので入ったら、チャーハンをご馳走してくれた。
喜んでもてなしてくれている。
うまい、うまい。
本当にうまい。




つづく