【石油を使い過ぎてたの?】関東海と千葉島 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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部屋探しというか、長く住む予定のある場所ならば、昔の私は地名を参考にした。
というのは、昔ながらの地名を見ればその土地の特徴がつかめ、あらかじめ気象災害などを予想できたからである。
しかしながら、主に経済的、政治的理由により、こうした古地名は消えていく昨今だ。






ところで、あるブロガーさんが古い川の流れについて述べられ、縄文海進について触れられていた。


縄文海進とは、およそ6000年前をピークとした地球が温暖化した時代、つまり日本では縄文時代に、南極などの氷が溶けて海水が増えると同時に膨張したため、現在は陸地になっている部分にまで海が進出してきたことをいう。
どうも、標高数メートルから100メートルくらいのところまで海だったらしい。

下の地図は関東地方の地質図だが、この図で水色部分がだいたい海だったと考えてよい。


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これを見て分かるように、関東平野のかなりの部分が海だった。また、千葉県は島になっていた可能性がある。
千葉は、津端(海の果て)または津葉(海の中に浮かぶ島々)の訛りとも考えられるだろう。

なお、この地図で利根川があるが、これは現在の流れであり、つい最近までは江戸に流れていて江戸の町に洪水被害を与えていたから、昔の川の名前ならば鬼怒川(毛野川、衣川)のがふさわしい。


また、現在は内陸部にある茨城県の筑波山や加波山が、波打ち際にあったことも分かる。だから、名前に波が付いているのかも知れない。
さらに、旧海岸線沿いだった可能性のある茨城県西の内部には、岩瀬という地名が古くから(少なくとも古事記作成時代には)見られる。
茨城県内部で古い海岸線に関与すると思われる、現在に残る地名を見ると、阿波、岩間、谷津などが挙げられよう。余談だが、ヤマトタケル伝説に出る新治も海岸線にあり、大和朝廷の新しい統治に関係しそうな名前だ(日本最初の連歌として有名)。


また、今では海無し県である栃木県にも、海があったことを暗示する地名がある。
磯山(岩宿発見前は、日本最古の先土器文明で知られていた)、市貝、小貝川、都賀(津加?)、海道、岩舟などだ。

関東には、アイヌ語由来と思われる地名も残っているが、時代とともに消えて行ってしまう。

地名というのも、無形文化財である。


それを経済的、政治的理由により変えてしまうのは、なんとも腹立たしい。

自然災害が起きやすい場所というものは、古い地名を見ると推察できることもある。が、同時に金儲けには都合が悪い場合も少なくはない。


このあたりにも、最近の日本の抱える歪みが、見え隠れする。



なお、このように地球が温暖化して海水が陸地に登ってきたことから考えて、縄文人たちは石油や石炭を原料としたファンヒーターを使い二酸化炭素をたっぷり出すとともに、フロンを使ったクーラーやヘアスプレーを使っていたことは、疑りようがあるまい(笑)。