
あれから、もう28年が経った。
若い人は知らないであろうな。羽田空港を飛び立った日航ジャンボ機が尾翼を破損し、群馬県の御巣鷹山(おすたかやま)に墜落、奇跡的に助かった4名を除く520名が亡くなった事故のことだ。
この飛行機には、日本人で唯一ビルボードNo.1となった歌手・坂本九(通称・九ちゃん、スキヤキ・ソング、つまり『上を向いて歩こう』で知られた世界的歌手)が乗っていたことでも知られているが、それ以降、会社役員などが飛行機で移動する場合には、同一機には乗らないといった決まりを作るきっかけにもなった事故だった。

この事故のあった少し後から、私は人生で一番飛行機に乗り、パスポートに空白が無くなりそうになっていく。
後に私は長い間、飛行機はどうも苦手になる。
が、不思議とこの事故によっては、飛行機に乗る怖さをまだ感じてはいなかった。
事故の話に戻ろう。
後に、柳田邦夫などの事故関連ドキュメント&小説を読み、私は大きな感動と人生について考える機会を得る。
この飛行機が事故に遭った原因は、いろいろな説がある。おそらく原因は、永久に特定できないだろう。
また、機長が頑張って持って行った山は、忘れられない名前の山でもある(その理由は、私のリアル仲間ならよく理解できるだろう)。
この事故で、人間の凄さを、機長の操縦技術と精神力から教えてもらった。
また、ずっと後になるが、搭乗者の手記などから教えてもらった。
同時に、人とは何のだろうと深く考えさせられた。
特にそれは、事故後の捜索状況などを知ってからだ。
また、飛行機嫌いの坂本九が、偶然が2つ重なり乗ったものであることも知る。
人生とはわからないものだと、後に改めて思った。
あの時助かった少女は、医療関係で働いていると聞いたことがある。
もちろんこれは、あの事故の影響だろう。
多くの人の命を奪い、多くの家族の、少なからぬ会社に影響を与えた、悲惨な、しかし、人間の強さを教えてくれた事故。
亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りしたい。
