さよなら、キャス
91歳だった旦那のおばあちゃん。2週間前に転んで、足、腕、腰の骨が骨折&ヒビが入り手術。順調に回復していると思っていたら、不整脈と肺炎を発症。次男の誕生日だった日、おじいちゃんに「もう残された時間は少ない。会いに行ってあげて」と言われ、家族全員で入院中のおばあちゃんに会いに行ってきました。この時はまだ話せていたけれど、動くこともできず、とても辛そうでした。このまま死んでしまいたいのに死なせてくれない、と家族に対しても怒っている、と付き添っていた叔母さんから聞きました。翌日から一気に状況悪化。意識もまばらに。「もう一度手術が必要」とドクターに言われ、おじいちゃんは「妻はもうこれ以上は耐えられない。もう治療はしないで欲しい」と伝えました。その後, palliative careに切り替えられ、手術した病院から自宅から1番近い系列病院(私の勤務病院)に転院しました。転院した時点で、痛み止め以外の治療や水分・栄養補給の点滴もストップ。ただただ、体がシャットダウンするのを待つだけ・・・。「長い人だと10日間持つ人もいるけど、おばあちゃんはそこまでは持たないだろう」と。イースターホリデー中、旦那とボーイズは旦那パパの家に4日間泊まりに行き、私は初めて1人でお留守番(me time)を満喫する予定にしてたんだけど、予定変更して自宅待機。おばあちゃんが転倒、手術を受けてから、一気に弱ってしまったおじいちゃんのサポートをしたり、おばあちゃんに会いに行ったり。毎日毎日、「今日かもしれない」と考えながら過ごす日々。結局、転院から6日目におばあちゃんは息を引き取りました。長い長い、6日間でした。周りは「仕方ないね」「91歳までよく生きたよね」っていう反応だけど、私と旦那は「あの転倒さえなければまだ生きていたのに」って悔しくてたまらないです90歳を超えたおじいちゃんとおばあちゃん、もちろん怪我したり、しんどかったり、それなりのアップダウンが今まであって、でも転倒の前日に「2人ともここ最近では今が1番体調も気分もいいんだ」って言ってたから。アメリカに住む、旦那弟(孫)夫婦とひ孫たちが9月におじいちゃんおばあちゃんに会いに来る予定で、おばあちゃんは旦那弟に会うのをめちゃくちゃ楽しみにしてたから。なんで今だったのかな、と思わずにはいられない。おじいちゃんを先に失うことを心から恐れていたおばあちゃん。「おじいちゃんとside by sideで逝きたい」といつも願っていました。「一緒に」という願いは叶わなかったけど、おばあちゃんがおじいちゃんより先に逝けたことだけは唯一良かったな、と思ってます。19年前、違う国からやってきて英語もろくに喋れない私を初めて会った瞬間から両手広げて受け入れてくれた、優しいおばあちゃん。10年以上前、酷い胃潰瘍で入院した時に私が作った千羽鶴をずっと大切にしてくれて、いつも「これを見るたびにいつも元気になるんだよ」って言ってくれてました。息子をバイク事故で失い、深い深い悲しみを抱えていたおばあちゃん。今は穏やかな場所で、息子さんと再会を果たしていますように。