Cutting on Action

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映画の感想など

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今年もひと月を切ってしまった。

進捗としては表紙を作ったりした。それぐらい。やることがあまりない。本当は目を皿にして1字1字読み返し、どこかに必ず存在するであろう誤字を探さなければならないのだが、さすがに自分の文章をまたも読み返さなければならないのが苦痛で、作業そのものが止まっている。

 

Twitterで勢いに任せて、「誰も読んでない本に載っている手品を演じればドヤれる、誰も読んでない本ってのは例えばカードマジック事典とか」などといつもの下品な調子で悪質な冗談を投稿してしまい、そのまま「‘誰も読んでない本’はトートロジー。なぜなら本は誰も読まないから」とかバカげたツイートを重ねてしまった。

 

奇術を解説する書籍は、こちらが求めたときに学ばせてくれる師であるという言葉をどこかで見かけた。良書は古びないとも言われる。しかし、ほぼすべてのページにわたって開かれることもないまま僕の部屋の隅で埃をかぶっている不憫な本たちに目を向けると、なかなかそのようなロマンチシズムに浸ることもできず、時が止まっているというアナロジーからはむしろ墓標という言葉を思い浮かべてしまう。本という墓たち。「奇術を秘密にしておくには、本で発表すること」という奇術界の古典的なジョークもあるが、誰にも読まれないために本を書いているとするなら、僕はいま墓石を彫っているんだろうか。

 

それにしても偏執病的な墓である。本という物体、あれほどあらゆる箇所にわたって誰かが頭の中からひねり出した文字で埋め尽くされているというのは、よくよく考えてみるとめまいがしてくる。不気味だし、健康の真逆に位置するものであることは間違いない。